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サッカーマガジン 2000年5月3日号
ビバ!サッカー

小さな区域の総合型クラブ
少年サッカーの杜会学再説

 「少年サッカーの歴史と社会学」というタイトルで書いた前々号の記事に反響があった。そこで、この問題を、もう少し突っ込んで考えてみたい。Jリーグのクラブはトップレベルの選手のためのものだが、もっと小さな区域単位の総合型クラブを子どもたちのために育てたい。

記事への誤解
 前々号に書いた宮城県塩竈(しおがま)の少年サッカーについての研究報告の話を、スポーツ社会学が専門の仲間の先生に読んでいただいたら、こんな質問が返ってきた。
 「つまりは、地域のクラブをというJリーグの理念は崩壊したということですかね?」 
 うーむ。
 そういう誤解を生じたか。これは、ぼくの書き方が悪かった。 
 前々号の記事は、小学校区の少年団から選手を集めて「選抜FC」を結成したら、それがきっかけで、母体の校区ごとのサッカー少年団がつぶれてしまった、という話だった。
  そのことについて、次のように書いた。
 「地域のクラブを、の理想に燃えて、母体の地区(小学校区)の少年団を吸収してしまったらしい」 
 この書き方が誤解のもとになったようだ。 
 「地域のクラブを」は、Jリーグが宣伝したキャッチフレーズだった。その「地域のクラブ」のために、さらに小さい「区域のクラブ」がつぶれてしまったのなら、Jリーグの理念が、底辺のスポーツを崩壊させたことになる。 
 しかし、これは事実ではない。ここで取り上げたのは、全日本少年サッカー大会出場のための「選抜FC」方式である。これが問題になったのは1970年代である。Jリーグの発足は、ずっと後の1993年だ。 
 「FC方式」による小学校区の少年サッカーの崩壊は、Jリーグとは無関係である。

少子化と指導者
 塩竈のケースを一般化して考えると、これも誤解を生むおそれがある。
 前々号に書いたように、静岡県の清水市では、小学校のサッカーをもり立てながら「清水FC」を編成して成功している。FC方式が必ず小学校のサッカーと対立するわけではない。問題は別のところにある、と仮説をたててみた。
 第一の問題は「少子化」である。日本では、生まれてくる赤ちゃんの数が急速に減っている。そのために小学校の児童の数も急速に減っている。そうなると、一つの小学校のなかで、いろいろなスポーツを成り立たせるのは難しい。「一つの小学校区に一つのサッカー少年団を」という普及の目標は、現実的でなくなりつつある。
 第二の問題は「指導者」である。小さな区域のスポーツの面倒を見ているのは、学校の先生か、その地域に住んでいる熱心な個人のボランティアだった。しかし、個人の熱意と努力で組織を維持し続けるのには限度がある。子どもたちの面倒を見ようという奇特な指導者は、少なくなってきている。
 この二つの仮説が正しいとすると、小学校区単位で子どもたちのスポーツを盛んにするのは非常に難しい。
 もともと、学校単位で対外試合をするような部活動は、小学校ではやらないことになっている。そのために、区域の社会活動という形で「スポーツ少年団」が組織されていたのだが、それも、現状のままでは成り立たなくなるかもしれない。

発想の転換を
 ものごとは前向きに考えたい。
 少子化も悪くはない。子どもの数が少なければ丁寧に面倒を見ることができる。施設にも余裕が出るはずだ。
 児童数が減ったために、つぶれる小学校が出てきている。二つの小学校を一つに統合した例が、身近にもあるだろう。
 二つの小学校が一つになれば、先生は余るはずである。余った先生を小学校の教育だけでなく、地域での教育のために働いてもらってはどうか。スポーツにかぎらない。また少年たち相手でなくてもいい。音楽教室でも、手芸教室でもいい。奥さんがたやお年寄り対象でもいい。
 二つの小学校が一つになれば、校舎は一つ余る。その校舎をクラブの施設に使ってはどうか。教室もあるし、体育館もあるし、グラウンドもある。給食設備もあるし、トイレもある。
 つまり、余った小学校を総合型クラブにという考えである。
 小学校が合併しない場合でも、先生や施設の余裕を、学校教育外のクラブ活動に使うこともできる。A小学校の施設ではサッカーを、B小学校の施設ではバレーボールを、というようにする。サッカーが好きなB小学校の少年は放課後あるいは休日にはA小学校へ行くことになる。
 指導者は有給にする。小学校の先生に給料を払うのだから、クラブの先生になっても報酬を支払うのが当然である。
 こういう発想の転換を望みたいのだが、現実離れしているだろうか?


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