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サッカーマガジン 2000年3月29日号
ビバ!サッカー

マスコミの代表監督への評価
再びトルシエの今後について

 トルシエ監督の今後に関してスポーツ新聞の報道はにぎやかだった。Jリーグやプロ野球のペナントレースが始まれば、紙面に余裕がなくなるから、今までみたいに大げさな報道はなくなるだろうが、本当はこれからが正念場。そこで「トルシエの今後」についてもう一度…。

現地と紙面の温度差
 久しぶりに友人から電話がかかってきた。
 「トルシエの評価についての、こないだの記事はおかしかったぞ。実情は違うらしいぞ」
 友人の話はこうである。
 日本代表チームが香港とマカオへ2週間の遠征をした。そのときの試合ぶりがよくないというので「トルシエ監督解任も」という記事が、スポーツ新聞に大げさにのった。
 それについて、ビバ!サッカーの3月8日号で「日本のサッカーも報道に関してはブラジル並みになったのかな」と書いたのだが「それは違う」というのである。
 チームといっしょに現地に行っている特派員は、試合のない日も何か記事を書いて東京へ送らなければならないので、ついつい針小棒大に話を大きくしてしまうのではないか。ブラジルの新聞記者がそうだと聞いたことがある――というように、ぼくは書いた。
 ところが友人は「現地に行っている記者たちは、それほどトルシエに批判的ではなかったし、解任されるだろうとも、解任すべきだとも思っていなかったらしいよ。話を大げさにしたのは、東京じゃないのか」というのである。
 つまり、トルシエ解任説を誇張したのは現地の特派員ではなくて、東京の本社にいるデスクか、整理部だという説である。
 「うーむ、そうかな」
 ぼくも、かつては新聞記者だったので、あり得ないことじゃないな、という気もした。

新聞の内部事情
 新聞社の内部事情を知らない人たちのために、ちょっと解説すると、記者の書いた原稿は、必ずしも、そのまま紙面に掲載されるわけではない。社内にデスクと呼ばれる、その日の紙面の担当者がいて、削ったり、直したりする。そのうえで、原稿は整理部という紙面を作る部門に渡される。見出しは整理部の記者がつける。紙面の都合で、さらに文章を削って短くすることもある。
 そういうわけで、書いた記者の気持ちと紙面に掲載された見出しや扱いの印象が食い違うことも、ときにはある。
 スポーツ紙の報道の内部事情について、ビバ!サッカーが見当違いなことを書いたのであれば取り消して、現地に行っていた特派員の皆様にお詫び申し上げる。
 せんだってのビバの記事は、スポーツ新聞批判が趣旨ではなく、トルシエ監督の進退問題を、マカオや香港での試合の結果によって論じるのはおかしいと主張したものだった。
 日本サッカー協会が、トルシエ監督と契約したのは、近くの目標としては、オリンピック予選とアジアカップ予選に勝って出場権を得るためである。この二つの目標は達成したのだから、ここでトルシエを解任する理由はないはずである。
 さて、次の目標はシドニー・オリンピックとアジアカップで、期待どおりの成績をあげることである。期待をどの程度のところに置くべきかは、まだ論議されていない。それはこれからの問題である。

現段階では「ウイ」
 日本代表チームの監督としては、さらに最終的な目標がある。それは2002年のワールドカップで、開催地元のチームとして国民の期待にそえるだけの成績をあげることである。日本サッカー協会が、トルシエ監督では2002年を戦えないと判断すれば監督を変える必要がある。
 この初期、中期、最終の三つの目標以外の途中の試合は目標を達成するための手段に過ぎないのだから、勝った負けたを重要視する必要はない。オープン戦を常にベストの力で戦えと要求するのは見当違いである。
 ところが…。
 3月15日に神戸で行なわれる日本対中国の試合や、4月26日にソウルで行なわれる予定の韓国対日本の試合の結果を見て、トルシエ監督との契約問題を考えるような話が、その後も新聞に載っている。
 これも、おかしいんじゃないか。
 中国戦や韓国戦は、国際試合ではあってもタイトルマッチではない。勝敗そのものを問題にすることはない。
 トルシエ監督のチームづくりや試合での用兵を検討することは、いつでもできる。一つ一つの試合の勝敗とは関係がない。
 「ふむ、ところで」と友人は言った。「お前のトルシエ評価はどうなんだ?」
 ぼくに与えられている材料は限られている。見た試合や出席した記者会見やマスコミの報道から判断するしかない。その範囲内で、現在の段階でいえば「トルシエ、ウイ」である。


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