高校選手権は千葉県代表・市立船橋の3年ぶり3度目の優勝だった。暖かい好天に恵まれ、1999年末から2000年にかけて争われたミレニアムの激闘は、なかなかレベルが高かった。そのなかでも9日間に6試合を無失点で勝ち抜いた市立船橋の守備はきわだっていた。
羽田は殊勲第一
「いやあ、すごい!」
記者席から見ていて、思わずうなった場面がめった。
1月8日の東京国立競技場。高校サッカーの決勝戦である。
後半25分すぎごろだったと思う。市立船橋はすでに2対0とリードしていて、鹿児島実業が懸命に攻め続けていた。
市船(いちふな)は守りに追われていたが、それでも逆襲のチャンスに相手陣内でフリーキックやコーナーキックを得ると、守備ラインに2人だけを残し、長身のディフェンダーの中沢や羽田が前に出て追加点を狙った。
そんな場面のあとで、鹿実(かじつ)がボールをとって反撃に出た。攻撃に参加していた市船のディフェンダーは懸命に駆け戻った。
鹿実は正面から攻め込んだ。残っていた市船の2人の守りは、内側にしぼって速攻を食い止めようとする。
そのとき、羽田が中央を駆け戻りながら右腕をあげてタッチライン側を指して叫んだ。そこには、鹿実の14番上村がノーマークで走り込んでいた。
内側にしぼっていたディフェンダーは。羽田の指示を受けて反転して上村をマークした。
「すごい!」と思ったのは、この場面である。
羽田は懸命に駈け戻りながら、フィールドの横幅全部を見渡して、味方の守りを的確に指揮した。実戦のなかでの視野の広さと戦術能力とリーダーシップ。殊勲第一である。
鹿実の反撃策を防ぐ
羽田の指示は実に適切だった。というのは、鹿実の14番上村がノーマークだったのには理由があったからである。
後半14分に2点目を奪われた鹿実は、17分に選手交代をして萩原和志にかえて毛井を出した。萩原は右ライン沿いで攻撃の前線にいたプレーヤーである。かわって出た毛井はディフェンダーだ。
毛井は萩原のポジションではなく守備ラインの右サイドに入った。それまで、その位置にいた上村は前線に出た。つまり萩原のいたポジションに進出した。
上村は足が速く、オーバーラップして鋭く攻めあがるプレーヤーである。本来のポジションは守備ラインだが、リードされたので攻撃力を生かして前線に張りつくようにベンチが布陣を変えさせた。
市船の守備は、この選手交代にまどわされて、前線に出っぱなしになった上村へのマークが甘くなっていた。羽田の指示は、その欠陥を修正したものだった。
市船は試合の立ち上がりから、非常に適切な守備策をとっていた。
4人のディフェンダーで浅い守備ラインを作り、ライン全体をあげるゾーンプレスを武器にした。4人のラインは、敵陣でのセットプレーでディフェンダーが攻撃参加をするときのほかは崩さなかった。
守備ラインの前で頑張っていたのは、ボランチの藤沼である。よく動いて鹿実の中央突破を早めにつぶした。市船の守りで羽田が殊勲賞、藤沼が敢闘賞だったと思う。
守備策のポイント
鹿実の攻撃は、中央で田原がトップ、松井がやや下がり気味で動く。両翼には左に内野、右に萩原が張りついている。3人がトップ、松井を入れると4トップという攻撃的な布陣だった。
これに対して、市船は4人の守備ラインを崩さなかった。
予想以上の大健闘でベスト4に進出した富山第一も、似たようなラインの守りをしていたが、準決勝では鹿実の攻撃力を警戒して守備ラインを組み替え、マンツーマンのマークを取り入れた。結果的には、これが失敗して前半21分に左サイドの内野にみごとな突破を許して先取点をとられた。
選手のタイプが違うから、富山第一の策が間違いだとは必ずしもいえないが、市船の勝因の第一は守備ラインを崩さなかったことだと思う。
市船は守りを固めて、立ち上がりの鹿実の猛攻をしのぎ、攻撃は永井を起点に長沼、原のツートップを走らせてフリーキックやコーナーキックのチャンスを作ることを狙った。それが前半13分に実ってコーナーキックから先取点。作戦どおりである。
こういう作戦や選手の配置は布啓一郎監督が指導したものだろう。
しかし、状況が次つぎに変化する試合のなかで、その作戦を実行するのは選手である。
そういう意味で、羽田がプレーをしながら適切な指示を出し、鹿実の反撃策を封じたのは「みごとだ」と思うわけである。
こういう選手を伸ばしているところに、高校の指導者の努力がある。
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