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サッカーマガジン 2000年1月19日号
ビバ!サッカー

日本サッカー大賞はトルシエ!
イタリアで活躍のヒデに殊勲賞

 ジャジャジャーン! 恒例の鳴り物とともに、日本サッカー大賞を発表する。1999年の出来事のなかで歴史に特記すべきことは何か。候補はいろいろあったのだが、グランプリは日本代表のトルシエ監督とイタリアで活躍したヒデこと中田英寿にしぼって検討した。

異文化の個性派
 わがビバ!サッカーが選考する日本サッカー大賞は、賞状も賞金もなく、ただその功績を誌上に記録するだけであるが、日本でもっとも権威ある表彰である。なぜならば、いかなる権力におもねることなく、また権力者としてトロフィーを授与することに自己満足を覚えることもなく、歴史に正しく留められることのみを目的に選考するからである。
 さて、1999年の大賞受賞者として、ただ一人の選考委員の独断と偏見でひらめいた候補が2人いた。一人は日本代表チーム監督のフィリップ・トルシエであり、もう一人はイタリアで活躍している中田英寿である。
 この二人には共通点がある。それは、日本の社会にはなじみの薄い個性的な文化を、マスコミを通じて、日本の大衆にアピールしたことである。
 1998年のワールドカップのあと中田がペルージャへ行ったとき、ヒデ人気が沸騰し、日本のスポーツ新聞はみな記者とカメラマンをイタリアに特派した。
 しつこく、見当違いなことも質問する記者と、うるさくつきまとうカメラマンに業をにやして、中田は現地で特派員たちと、しばしばトラブルを起こした。あまり適当でない雑言を吐いたことも伝えられた。
 ぼくは、かつては新聞記者だったから、ジャーナリストの不作法も、ある程度は止むを得ないと思っている。それに対してぶしつけな態度をとるような選手は、世界のトップクラスにはほど遠いと思っている。

主張+成功の功績
 しかし、中田選手がジャーナリズムを恐れることなく、自分の考えを主張したのはおもしろい。日本の社会では、個性を表に出さないで、権威に従うふりをするのが「よい子」である。そういう文化からはみ出た若者が海外でトップクラスの活躍をしていることを評価したい。
 一方、日本代表監督になったトルシエは、当初はマスコミとしばしば衝突した。サッカー協会の強化担当の首脳部とも、考え方の食い違いが目立ち、解任説も再三流れた。
 もともと日本からみれば異文化の人である。フランス流に個性を主張するのは不思議でない。
 マスコミとは、最近は折り合いがつくようになってきた。おたがいに異文化理解が早かったのだろう。しかし、協会の強化担当首脳部とは考え方の違いが、いつまでたっても目立っている。
 トルシエはチームを率いるために必要だと思うことは強い口調で主張する。一方、協会側はほかのいろいろな要素を考えに入れなければならないから簡単に「ウイ」とは言えない。そうするとトルシエは「成績があがらなければ協会の責任だ」と言う。日本流の考え方では「わがままで、負けたときの言い訳まで考えてる」ということになる。
 結果として、トルシエは4月のワールドユースでは準優勝し、オリンピックのアジア予選は全勝で、シドニーへの出場権を獲得した。
 トルシエの場合も、日本の文化におもねることなく、頑張って成功したことを評価したい。

横浜FC設立の技能
 2人の個性派を対象に熟慮した結果、トルシエに大賞を、中田に殊勲賞を与えることにした。別に差を付けたわけではない。中田には今後、大賞を与えるチャンスがあるだろうけれど、トルシエの場合は、ひょっとすると次のチャンスがないかもしれないので、今のうちにと考えただけである。トルシエ監督の業績の歴史的意義については別の機会に論ずることにして、ここでは「わがままを言って成功した」功績だけをあげておこう
 さて、技能賞は、横浜FCを立ち上げた旧フリューゲルスのサポーターたちに贈る。理不尽な合併で消えたフリューゲルスの再建をめざし、短期間で新しいクラブを作った熱意と努力とくふうに敬意を表したい。
 横浜FC誕生のいきさつはシナリオライターの辻野臣保さんが書いた「Fの奇跡」という本で詳しく知った。また同じ仲間の弁護士、水戸重之さんからも直接、話を聞く機会があった。水戸さんの話を聞いたときに「これは、まさに技能賞だ」と思った。辻野さんの本でも、敢闘賞でなく技能賞である理由を、うかがうことができる。
 敢闘賞はイタリアの「ラツィオ」の女子チームで活躍している森本鶴さんに贈る。
 「えっ、それ誰?」なんて言わないでもらいたい。Lリーグの日興証券ドリームレディースの守備の要だったが、チーム解散のあとイタリアに行ってレギュラーの座を獲得した。横浜FCと同じく「苦難を乗り越えた」ことを評価する。


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