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サッカーマガジン 2000年1月5日&12日号
ビバ!サッカー

PRと情報提供の異文化理解
ペレの私的パーティーに思う

 ワールドカップ予選抽選会に世界の有名なサッカー人が、何人も東京へ来た。ところがマスコミには、それほど紹介されなかった。抽選会に関してはJAWOC(日本組織委員会)のPRが不十分だったように感じているが、別のPRはいろいろくふうされていた。

少人数の囲む会
 「ワールドカップ抽選会の時にペレが日本へ来るので、少人数のパーティーをやる計画があるんですが出席しますか」
 11月30日のトヨタカップの時に、友人が声をかけてくれた。
 20世紀最高のスポーツマンであるペレを囲む会に誘われて、断る理由があるだろうか。 
 「もちろん出るよ」と二つ返事である。
 トヨタカップを見たあと東海道線の急行「銀河」で加古川に戻った。翌日午前中に講義があるからだ。 
 朝早くアパートに着いたら、まるで待ち兼ねていたように電話がかかってきた。ニューヨークからである。 
 「ハロー。こちらはトニーだ。ご機嫌いかが」 
 なれなれしい奴だな。聞き覚えのある声のような気もするけどだれだろうか。 
 「ペレのパーティーの話、聞いただろ。マスターカードが主催する選ばれたメンバーだけのメディア・パーティーなんだ。いまからファクスで招待状を送るよ。出席できるなら返事をくれ」 
 これは米国のクレジット会社らしいやり方である。「あなたは選ばれたジャーナリストです」と虚栄心をくすぐってPRする。落語家の言葉でいえば「よいしょ」するわけだ。 
 ある程度は社会的影響力のあるメンバーを選ぶが、有力なマスコミとは限らない。有力メディアより個人のほうが乗ってきやすいからである。 
 それを承知で、ぼくも乗せられることにした。

翻訳者への気配り
 あえて「よいしょ」に乗せられたのには理由がある。
 ペレに話を聞きたかったのは、もちろんである。
 それに、ぼくはペレのパーティーに招かれる資格が十分ある。というのは、25年くらい前にペレの指導書を初めて日本語に翻訳したのが、ぼくだからである。
 その本は、もともとはポルトガル語だが、ぼくはポルトガル語はできないので英語版から翻訳し、ポルトガル語しかない部分は翻訳会社に訳してもらった。日本語版は「ペレのサッカー」というタイトルで講談社から出した。絶版になっているので貫重な本になっている。
 そういうわけで、その本のポルトガル語版、英語版、日本語版を揃えて、ぼくは持っている。そして、それぞれにペレのサインをもらっている。
 ところが――。
 四半世紀前に使ったサインペンが悪かったのだろうか。せっかくのサインがかすれて、見えにくくなってしまっている。
 そこで、この機会にペレにサインをもらい直そうと企んだわけである。
 ワールドカップ予選抽選会の前の晩、ホテルオークラで開いたパーティーで、ペレは快くサインし直してくれた。日本語版には「翻訳者の名前も」と、TO USHIKIと書き加えてくれた。
 こういう心遣いのこまやかなところが、ペレのすばらしさだ。「やっぱりペレは20世紀最高の選手だ」と確信した。

PRの異文化理解
 こういう私的な交流に狙いを定めたPRは、実は日本には適さない。有力なマスコミを無視すると、そのはね返りが大きいからである。これは異文化理解の難しいところだ。
 ペレのスポンサーであるマスターカードの日本支社は、そこんところは心得ているから、ニューヨークからの直接の招待者以外に日本で独自に招待者を選んだ。そのために20人以内だったはずのパーティーが、予定の2倍くらいにふくらんでいた。それでも家族的な、いい雰囲気のパーティーだった。
 マスターカード日本支社の異文化克服のこの努力にまず感心した。もっとも、そのために、ぼくは受付で「これは何者だ」という扱いを受けた。とんだとばっちりである。
 もう一つ感心したのは、米国のマスターカードから、この仕事を任されたらしいトニーの努力である。
 トニーは、ホテルオークラのロビーで、ぼくを出迎えた。「いやあ、しばらく。よく来てくれました」となれなれしい。お互いに、どこかで顔を合わせたことがあるような気もするが定かでない。敵もさるもので「お前の名前のスペルはどうだったっけ」と巧みに、ぼくの名前を聞き出した。
 パーティーの席でも、ペレと話をしていない客をチェックして、ペレのところに連れて行って紹介するなど至れり尽くせりの気配りだ。さすがプロフェッショナルである。
 2002年を成功させるために、このような異文化理解への努力が、ぜひ必要だと思う。


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