Jリーグのカップ戦、ヤマザキナビスコカップで柏レイソルが初優勝した。西野監督が国内で一つの実績を残したこと、千葉県柏市のチームとして地域のファンの支持を固める手がかりになったこと、若い選手の成長が実ったことなど、「レイソル優勝の意義」を考えた。
西野監督の笑顔
「正直、うれしいの一言です」
ヤマザキナビスコカップの決勝戦のあと、記者会見に現われた柏レイソルの西野朗監督は、ほんとうにうれしそうだった。笑顔を隠そうとしても隠しきれない感じだった。
西野監督にとって、これは大切な優勝だったと思う。
監督として、1996年のアトランタ・オリンピックで実績を残してはいる。だけど、あのころの西野監督を「これは将来の名監督だ」と信用する気にはなれなかった。チームの作り方に、プロの勝負師らしいところがない。気の合った仲間を集めてチームを作ろうとしているような印象を受けていた。
もちろん、監督は「勝てば官軍」である。28年ぶりのオリンピック出場を勝ちとり、優勝候補のブラジルから、ともかく1勝を挙げたことは評価している。
だが、大学の名門早稲田を出て、当時の実業団の名門日立で活躍し、学閥と企業閥に守られて、オリンピック代表の監督に選ばれたと、ぼくは見ていた。偏見かもしれない。
しかし、荒野で強風に叩かれながら育ったのでないことは確かでる。単独クラブでの実績がなくて代表の監督に選ばれ、結果的にある程度の成功を収めた。だけど、代表チームの監督は、単独クラブで実力を証明した人物を選ぶべきだと、ぼくは、いまでも思っている。
今回は、在野の1チームの監督としての成果である。これは、西野監督が今後、大きく育つための足がかりになるかもしれないと思う。
ビスマルクの退場
レイソルの優勝は、実力どおりというわけではない。
11月3日に東京の国立競技場で行なわれた決勝戦で、レイソルは「危うく勝ちを拾った」というのが、ほんとのところだった。
相手はジーコ総監督の率いる鹿島アントラーズである。
前半5分にレイソルが先取点を挙げたが、アントラーズは後半17分と19分に連続ゴールを挙げて逆転。実力どおりアントラーズの優勝のように思われた。
それが延長戦になった第一の要因は、ビスマルクの退場である。
2対1でタイムアップが近付くにつれ、アントラーズの時間稼ぎが目に付くようになった。アントラーズの攻めの起点のビスマルクが厳しいマークに倒される。倒されたビスマルクは、なかなか立ち上がらない。明らかに意図的な時間稼ぎに見えた。
後半も終了間近の42分、ビスマルクはとうとう「遅延行為」で警告を取られた。前半の21分にも審判に異議を唱えて警告を取られていたので、2度の警告で退場である。これがアントラーズの致命傷になった。
レイソルは、ディフェンダーの渡辺毅を攻撃に参加させて、最後の反撃を試みた。その渡辺が同点ゴールを決めたのは、後半45分を過ぎ電光掲示板の時計が消えてからである。
ビスマルクが、愚かな遅延行為を繰り返していなければ、退場にならなかっただろうし、ロスタイムを長く取られることもなかっただろう。
勝負を決めたのは、ビスマルクの退場だったと言っていい。
柏の応援も優勢
延長は0対0。「PK戦はサッカーじゃない」とぼくは信じているので、優勝賞金1億円の行方がPK戦で決まったのは、ばかばかしいという思いだった。
とはいえ、試合は決勝戦らしい激しい好試合だった。双方にシュート数が多かった。それもゴールの枠外に飛んだのではなく、ゴールキーパーを襲ったのが多かった。ビスマルク退場まで、守勢に回っていたレイソルのほうが、延長に入る前まででもシュート数が多い。効果的で迫力のある逆襲をしていた証拠である。レイソルは、優勝にふさわしい試合をした。
この試合で、もう一つ印象に残ったのはスタンドのカラーである。
入場者は3万5238人。アントラーズ側は、一方のゴール裏スタンドの全面をエンジ色で埋め、レイソル側は他方のゴール裏だけでなく、バックスタンドのかなりの部分を黄色で埋めた。応援者数でも、レイソルの勝ちだった。
レイソルの優勝は、この千葉県柏市からの応援に報いることができたという点でも、よかったと思う。
アントラーズは、茨城県鹿島の住友金属を母体にスタートし、Jリーグ発足後、たちまち優勝して地域に足場を固めた。
レイソルのほうは、東京の日立本社が母体で、Jリーグ発足には乗り遅れ、柏の地域のチームという印象は薄かった。
この機会に千葉県北部に根を下ろすことができれば、優勝の意義は非常に大きいと思う。 |