トルシエ監督の率いるU−22日本代表は。シドニー・オリンピック予選の第1戦で、カザフスタンを敵地で破った。次はホームでのタイ戦である。この年代のチームで、日本がアジアのトップであることは確かだと思う。しかし油断は禁物、勝って兜(かぶと)の緒を締めよだ。
アルマトイの快勝
スタジアムの彼方に連なる、中国との国境の7000メートル級の山並みを思い出しながら、日本の若者たちのみごとなプレーをテレビ中継で見た。シドニー・オリンピックのアジア最終予選、10月7日の日本対カザフスタンの試合である。アルマトイの中央スタジアムは、2年前のワールドカップ予選のときに行った思い出の場所だ。
敵地での第1戦だから、引き分けでもよしとしなければならないところだったが、結果は2対0の快勝だった。決して楽な戦いだったわけではない。カザフスタンも、なかなか手ごわかったのだが、日本のオリンピック代表は、のびのびと自信を持ってプレーしていた。いまの若い世代は国際舞台に慣れている。
得点場面がすばらしかった。
前半25分の先制点は、ヒデこと中田英寿のミドルシュートである。
長いボールを有効に使った日本の攻めにカザフスタンは押し込まれていて、反撃に出ようとした。
日本の右サイドで明神が相手と競り合ってけったボールが、高くあがって中央へ飛んだ。
高原がヘディングで内側に落とした。そこにヒデがいた。
ゴールの方を向いて胸で落とし、右足先でコントロールして一歩、二歩。25メートルのシュートが左隅をみごとに狙った。
ジャブを繰り出して、相手の出方をうかがい、さあ、勝負はこれからというタイミングで、先制パンチがきれいに当たって、最初のダウンを奪った形だった。
あらかじめ見る
ヘディングを落とした高原が「ぼくのアシストとはいえませんね。中田さんの個人技です」と話したという記事が新聞に出ていたが、これは、やはり高原のアシストである。ワンバウンドしてはねあがったボールを狙いながら、ヒデのポジションを見ていて、そこにヘディングで落とした。20歳の若者は十分に落ち着いていた。
ヒデの個人技は、もちろんだ。
ボールを落としてもらえる場所に出ていて、すばやくさばいてゴールを狙った。ボールがこう来る。来たらこうさばく。シュートはあの隅を狙う。こんなふうに、あらかじめ決めておいたようにさえ見える、すばやく、スムーズなプレーだった。
高原にしろ、ヒデにしろ、これは 技術だけじゃないと、ぼくは思った。
テクニックを発揮する前に、アイデアがある。アイデアを生むために、あらかじめ周りを見て、次の展開を予測する。そこに、このみごとなゴールが生まれた秘密がある。
後半、態勢を立てなおして反撃に出たカザフスタンに、日本はやや押され気味だったが、残り4分くらいになって、2回目のダウンを奪って勝利を決定的にした。
ヒデがドリブルで持ち込んで、ペナルティー・エリアの中で倒された。ペナルティー・キックかと思ったが右コーナーキック。これをヒデがけり、ニアポスト前に走り出た稲本が、ボレーで背中の側にあるゴール左隅に決めた。
十分に練習している静止球からのプレーだった。
油断は大敵だが
試合が終わったとき、なんの脈絡もなく「勝っても、かぶっても、ヒモよ」という「迷せりふ」が口に出た。数十年前に、ハワイ育ちの日系のボクサーが日本で世界タイトルを取ったときに口にした言葉である。
「勝って兜(かぶと)の緒を締めよ」という「ことわざ」をあらかじめ教えられていたのだが、日本語が十分でなかったので、うろ覚えで口から出たので話題になった。
次にはホームにタイを迎え撃つ。まだまだ、緊張し続けなければいけないぞ、と頭の中で考えたのだが、のびのびと戦った若者たちに、古いことわざは似付かわしくない。それで、頭の隅に隠れていた「迷せりふ」のほうを思い出してしまった。
とはいえ、油断は大敵である。
初戦の勝利で大きなヤマを乗り越えたと思うが、ひとり、ひとりの選手の力は、アジアのなかで日本選手が断然というわけではない。
カザフスタンでも、シェフチェンコのドリブル、スマコフのロング・シュートなど、日本をおびやかすプレーがあった。タイにも、なかなかいいテクニックを持った選手がいる。
ただ、他の国の若いチームでは、才能のある選手が部分的にしか活躍しない。チームのなかでは狭い範囲でプレーし、90分のなかでは限られた時間帯にしか良さが出てこない。
日本のチームは、全体としてよくまとまっており、90分を通じて一生懸命戦い続ける力を持っている。
ただし、この年代で、まとまりすぎているのがいいかどうかは、もう少し考えてみる必要がある。
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