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サッカーマガジン 1999年9月29日号
ビバ!サッカー

清水の少年大会に学ぶ(下)
地域と教育と強化の接点

 清水市の全国少年少女草サッカー大会は、13回も続いている大がかりな小学生の大会である。参加チーム数が多いだけでなく、運営に独目の試みをしている。学校と地域、普及と強化の接点を求めて、21世紀の日本のサッカーの在り方に示唆を与えてくれている大会だと思う。

21世紀の大問題
 清水市の全国少年少女草サッカー大会について、これで4回連続で書くことになる。その前に「よみうりランド」の全日本少年大会について書いているので、少年サッカーについて5週連続である。しかし、清水の大会には21世紀の日本の社会と教育とサッカーのために重要な問題がいろいろ含まれていて、まだまだ書き尽くせない思いである。
 前回の原稿を編集部に送ったあとに、清水の大会実行委員長の牧田博之さんからファックスで、ご意見と追加の資料をいただいた。
 牧田さんは、ぼくが清水に行ったとき懇切丁寧に、いろいろ教えてくださった方である。 
 牧田さんの方にも、まだまだ言い足りないことが、たくさん、おありのようだ。
 牧田さんのコメントの一つは、9月8日号の記事についての、ご意見だった。
 「少年少女サッカー大会は、よみうりランドの全日本少年サッカー大会のアンチテーゼとして登場したのではないか」と、ぼくが書いたのに対し次のように反論されている。
 「アンチテーゼではありません。清水のサッカーは元来、『人づくり』が基本になっています。話題の清水FCも、地域ごとにあるサッカースポーツ少年団と育成会の関係も『サッカーを通して地域で育てる』が大きな目的であり、理念であります。草サッカー大会は、大会としてこの理念を表現したものだと考えていただければ、全日本大会と決して同じ土俵ではないと気付かれるはずです」

地域での人づくり
 「内容としては、ぼくの書いたことと違わないのではないか」とぼくは考えた。
 「人づくり」が基本ということは広い意味での「教育」が目的だということだろう。その教育を、サッカーを通して、地域ぐるみでやろう、ということであろう。
 一方、よみうりランドの全日本少年サッカー大会のほうは、最初は小学校単位の選手権を念頭に置いて計画された。この間の事情は、30数年前に、前身の全日本サッカー少年団大会を準備したころから、ぼく自身が、かかわっていたので、よく知っている。
 小学校単位では文部省が許さないので、社会体育として「サッカー少年団」を隠れ蓑(かくれみの)にしようとしたのが実情だった。学校教育に対する配慮という点では、文部省の建前とサッカー協会の本音が対立していた。
 これに対して清水の大会は、最初から小学校教育と地域教育の包み込みを大会を通して実現しようとしてきた。ぼくが「アンチテーゼ」ということばを使ったのは「そういう違いがある」ということの表現だったので、牧田さんのお考えと大筋は同じだと思う。あるいは、使い慣れない哲学用語を、ぼくが不適切に使って、誤解されたのかもしれない。
 清水の大会では、小学校の父母を中心とした育成会が、地域(小学校区)ごとに運営を担当している。これは地域ぐるみの結びつきである。
 清水FCは、清水市全体の地域の代表チームという形である。

高校生が審判員
 清水FCの編成は、少年サッカーを選手強化に結びつける試みだろうが、地域選抜による強化が小学生の年齢で必要かどぅかについては議論の余地がある。しかし、この問題は前号で触れたので、ここでは別の話を紹介しよう。
 清水の大会では、審判は高校のサッカー部員が担当している。
 「高校生で、ちゃんとした笛が吹けるのか」という批判もあるだろうと思う。「おとな」の審判員でも間違いはあるのだから、不慣れな高校生で間違いがあるのは防げない。
 しかし、この試みに、ぼくは賛成である。どんな笛でも一生懸命プレーをすることを学ぶのは、小学生にとって一つの経験である。
 また、高校生にとって、笛を吹いた経験は、自分がプレーするときにも役立つに違いない。そして、何よりも、自分の能力によって地域のために役に立つ仕事をしてみることがすばらしい。
 このような、意欲的な試みを実行している清水の大会に、どのようなチームが参加するのだろうか?
 清水の大会には予選がない。都道府県のサッカー協会やこれまでの参加チームに毎年案内を出して、参加申し込みを公募している。マスコミにも広報を依頼している。
 男子256チーム、女子32チームを上限に打ち切るのだが、これが問題である。外れたチームは「申し込んでも外される」と翌年は諦める。それで最近は申し込み数が減る傾向にある。「これは難しい問題です」ということだった。


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