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サッカーマガジン 1999年8月25日号
ビバ!サッカー

サッカー選手の法律問題
肖像権はだれのものか?

 サッカーの選手にも、一人の人間としての権利がある。そんなことは改めて言い立てなくても当たり前だろうが、これがなかなか、一筋縄ではいかない。たとえばテレビのコマーシャルに出る権利。これが本人のものであるのは当然だと思うのだが、規則では必ずしもそうではない。

有森選手の場合
 日本スポーツ法学会という、ものものしい名称の団体があって、梅雨明けの7月24日に東京渋谷の岸記念体育館の会議室で合同研究会を開いた。テーマは「競技者をめぐる法律問題」である。「競技者」とは、ひらたくいえば「スポーツ選手」のことだ。
 シンポジウム形式で、ぼくが4人のパネリストのうちの1人に指名された。
 ご出席のみなさんは、学者や弁護士など専門家ばかりである。したがって、シロートのぼくが、へたに、なまかじりの法律論を述べても、やんわりと、たしなめられるくらいが落ちである。そこで、ぼくにできたのは、ジャーナリストとして取材してきたなかで、ぶつかった事例を紹介するといった程度のことだった。
 最近ジャーナリズムをにぎわせた「競技者をめぐる法律問題」の最たる事例は、女子マラソンの有森裕子さんのコマーシャル出演だろう。
 有森さんは、女子マラソンでオリンピックのメダルをとった有名選手である。笑顔が魅力的な美人で、話しぶりに才気があふれている。選手としての名声と個人的な資質をあわせて、商品の広告に出てもらうにはぴったりだ。
 ところが2年前、彼女がコマーシャルに出ようとしたら「待った」がかかった。「待った」をかけたのは日本オリンピック委員会(JOC)である。選手がコマーシャルに出る権利は、日本陸上競技連盟(陸連)を通じてJOCが握っているという言い分である。

パブリシティ権
 広告に彼女の名声と容姿を利用する権利について、新聞などでは「肖像権」という言葉を使っていた。
 専門家の話によると、これは肖像権というよりも「パブリシティ権」と呼ぶのがいいらしいが、ここでは新聞などにならって「肖像権」と呼んでおくことにする。
 スポーツ選手が広告に出るのは、自分の名声や容姿を提供して、対価を得るわけで、ここでは肖像権は財産権である。
 有森さんの容姿や笑顔は、有森裕子の個性を離れてはありえない。これは彼女の固有の財産だろう。
 オリンピックのメダリストとしての名声、あるいはマラソン選手としての名声は、JOCあるいは陸連との共同作業で得たものだが、JOCや陸連は、有森さんに活動の場を提供したに過ぎないから、有森さん個人の「財産」の分け前を要求するのには無理があると思う。
 有森さんの場合は、すでに有森さんの希望どおりに決着して「めでたし、めでたし」となった。
 しかし、クラブと選手との権利関係には、いろいろな考え方がある。
 かつて、ぼくが米国のフットボールのスター選手の広告出演について調べたとき、チームのユニホームを着た写真を使うときにはクラブが窓口になり、私服の写真を使うときはその選手個人(実際にはその選手のエージェント)が窓口になるというケースがあった。 ともあれ「パブリシティの権利」は、本来は、その人個人のものであると思う。

Jリーグの場合は?
 サッカーの場合はどぅなのか?
 Jリーグの規約や統一契約書には関連するいろいろな項目がある。そのなかに次のような文章もある。
 「クラブは、選手の肖像等を、クラブ、協会、およびリーグ等の広報・宣伝活動(リーグ等を題材として商品化した商品への使用を含む)のために無償にて使用することができるものとする。ただし、選手個人単独の肖像写真を利用した商品を製造し、有償で頒布する場合、クラブは選手に対し、別途協議して定める対価を支払う」
 これは、Jリーグのクラブに所属しているかぎり、選手の肖像権はクラブに属するという考え方である。
 クラブやリーグのPRのためにはタダで協力しなさい、というのは理解できる。クラブやリーグの宣伝は選手自身のためでもあるからだ。
 しかし「リーグ等を題材として商品化した商品への使用を含む」とあるのは、どうだろうか?
 選手の肖像を商品化して、リーグやクラブの収益にするときに「選手には権利がない」というのは、横暴ではないか?
 さらに「選手個人単独の肖像写真を利用した商品を製造し、有償で頒布する場合」に、本来の権利はクラブにあるという考え方は、選手の財産権の侵害ではないのだろうか? 「選手個人単独の肖像写真」は、選手個人の財産ではないか。
 というわけで、この種の問題は、一筋縄ではいかない。ぼくも、もっと勉強するつもりだが、専門家のご意見をうかがいたいものである。


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