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サッカーマガジン 1999年8月4日号
ビバ!サッカー

地域クラブを育てるために
PPVの可能性を探ろう!

 オリンピック・チームは、らくらくと1次予選を突破し、南米選手権に客員出場した日本代表は、1引き分け2敗でトルシエ監督の言動が物議をかもした。いろいろ出来事が多いのにテレビの話ばかりしてていいのか、という気もするが、今回もしつこく、テレビについて・・・。

放映権料のバブル
 Jリーグのテレビ放映権収入が、年間22億円とは少なすぎるんじゃないか、という話を前に書いたが、ヨーロッパの百億円単位の話とくらべてのことであって、だいたい、いまの欧米の方が狂ってるんだよ、という考えも、もちろんある。
 テレビのデジタル化で多チャンネルの時代がきた。それでソフト、つまり放映する番組が足りなくなって確実に視聴率の上がるスポーツ、とくに欧州ではサッカーの放映権買い占めがはじまって、値段が高騰しているという経過なのだが、これは過渡期の、一時的な、バブルには違いない。
 多チャンネルになれば、1チャンネル当たりの視聴率は下がるのが当たり前である。見る人の数は、だいたい同じでチャンネル数が増えるのだから調べてみるまでもない。 
 一方、テレビ局の収入も、そうそうは増えない。
 いま民放各局の地上波は、番組スポンサーから収入を得ているが、それでなくても不景気である。提供金額の総額は、減ることはあっても増えることは考えにくい。
 NHKやCSデジタル放送のように、視聴者からお金を集めるにしても、お客さんの財布の中身は、とうにバブルが弾けている。高い視聴料をとるのは不可能である。多チャンネルになれば、競争が激しくなって値下げ競争になる、と考えるほうが常識的だ。
 というわけで、長い目で見れば、サッカーの収入源を高額の放映権料に期待するのは賢明ではない。

ペイ・パー・ビュー
 「PPVはどうか」と、ぼくは考えた。
 PPVは「ペイ・パー・ビュー」の頭文字である。ビューするたびにペイする、つまり番組を一つ見るたびに、その代金だけを払うという仕組みのテレビである。
 鹿嶋の市民はアントラーズの試合が見たい。ところが全国区の地上波あるいは衛星波のチャンネルでは、ヴェルディ対グランパスの試合をやっている、というとき、PPVでならアントラーズの試合が見られるようにしてはどうか、と思うわけである。
 自宅のテレビで、そのチャンネルにまわすと、アントラーズの試合が映る。ただし、その代金は、のちほどクレジットカードか、あるいは預金通帳から落とされることになる。 
 これは自宅にいながら、入場料を払って試合を見るようなものである。だいたい、出かけたら有料、うちで見たらタダというのが、おかしい。Jリーグのチームはプロなのだからお客さんから対価をいただいて試合を見てもらうのが当然である。
 したがって入場料、ではない、試合ごとの視聴料はテレビ局とホームのクラブが分けることになる。あるいはテレビ局が、あらかじめ放映権料を一括してクラブに支払うことになる。
 ホームの試合だけではない。アウェーの試合もPPVで見ることができる。アントラーズが鹿嶋でサンフレッチェと試合をしているとき、その試合の視聴料を広島の市民も支払ってくれるという仕組みである。

地域の文化なら
 「これをやれば地域のクラブの運営が楽になるのではないか」
 われながら、いい思い付きだと鼻高々だったのだが、マスコミ学会の放送関係の研究会で、この話をしたら専門家たちは苦笑いした。
 「ペイ・パー・ビューはね、少数派のお客さんを、広い地域から、かき集めて成り立つ、ということになってるんですよ」
 なるほど――。
 近ごろ、長唄の好きな人は、あまりみかけない。むかしの落語に出てくるような長唄のお師匠さんは町内にはいない。
 しかし、全国からくまなく長唄の愛好者を集めれば、かなり、まとまった数になるだろう。
 そこで「長唄チャンネル」をPPVでやれば成り立つかもしれない、というわけである。 
 つまり、PPVは広く薄く視聴者を集める広域テレビの仕組みだというのが、放送の専門家の説である。
 シロートのぼくが、専門家の間で孤立無援になったので、助け船を出してくれた人がいた。 
 「でも、狭い地域であっても、その地域の人は、その番組だけは必ず見る、というような文化があれば、広域でなくても成り立つかもしれませんね」
 そうなんだよ、サッカーは地域に根付いた文化になるんだよ。 
 だから、入場料収入にPPVの視聴料をプラスして、地城のクラブが健全に運営できるようにしたいんだよ、と心のなかで叫んだのだが、無理だろうか?


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