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サッカーマガジン 1999年6月23日号
ビバ!サッカー

キリンカップ第1戦
外国監督の記者会見

 2002年へ向けてワールドカップ運営の連載を続けてきたが「メディア論」を長くやりすぎたので、ここらで一息入れて、しばらくは、以前のペースに戻ることにする。キリンカップの第1戦で外国同士の試合を、とくに監督の記者会見を楽しんだので、まずは、その話から。

なつかしの西京極で
 キリンカップの第1戦は、京都の西京極競技場だった。ベルギー対ペルーの外国同士である。
 ぼくの住んでいる兵庫県の加古川市からJRと阪急電車を乗り継いで行く。兵庫県、大阪府、京都府と3府県縦断で、ちょっとしんどい。
 西京極競技場は、由緒あるスポーツ施設である。京都が太平洋戦争の戦火を免れたので、敗戦直後の国民体育大会では主会場になった。東京オリンピックの前に天皇杯全日本選手権を開催したこともある。
 今のスタジアムは、むかしの土盛りのスタンドではなく、改装されて京都パープルサンガのホームになっている。ナイター設備もある。
 しかし、Jリーグの試合会場としては、いささか不満な点がある。
 正面スタンドからみると、向こう側のスタンドの壁に波打った形の凹凸がある。現代的な新しい造形感覚かと思ったら、そうではなくて、周辺の公園敷地の面積と建築法規との関係で、バックスタンドを高くできない部分があるためだ、ということだった。
 競技場は陸上競技と兼用で、トラックとその周辺を広くとってあるので、サッカーの試合を見るには適当でない。スタンドからの距離感がありすぎるし、あけっぴろげで、スタンドに迫力が伝わらない。
 西京極の駅には、阪急電車の急行が停まらない。それで途中の駅で各駅停車に乗りかえなければならない。
 「これでは京都にワールドカップを持ってこられなかったのも仕方ないな」と思いながらキリンカップを見た。

ベルギーのGK交代
 スタンドは八分の入りで、有料人場者9262人という発表だった。収容能力も、ものたりない。関西で日本代表の試合を、もっと見たいものだと思うが、いまでは日本代表の試合となると4万人以上のスタンドがほしいから、外国同士の試合になったのは、やむをえないだろう。
 前半はぺルーが、足技とパスワークでボールを支配して優勢、6分に先取点をあげた。 
 そのあと19分にベルギーが、ゴールキーパーの交代をした。34歳のデウィルデが先発だったのだが、37歳のバンデワレにかわった。
レーケンス監督が、なぜゴールキーパーをかえたのかは、スタンドでは分からない。 
 ベルギーは、それまで、守備ラインを前に押し上げて守ろうとしていた。ところが、ペルーの中盤のロベルト・パラシオスが巧みにボールをコントロールし、後方から走り出る味方に合わせて、すばやくパスを出す。そういう形で裏側をつかれて、ゴールキーパーが一人で守らなければならない形が何度もあった。そんなとき、ゴールキーパーは果敢に前へ飛び出して身を挺して防ぐか、敵を牽制しながら味方の守りの戻りを待つかの判断をしなければならない。 
 先発のゴールキーパーは、前へ出るのをためらって、ピンチを招いていたようにみえた。それで、判断のいい、前に出るのが得意なゴールキーパーにかえたのではないか、とスタンドで想像した。

レーケンス監督の説明
 ゴールキーパーがかわったあとベルギーが盛り返し、28分に同点に追い付いて試合は引き分けだった。
 ゴールキーパーの交代については、試合後の記者会見で、レーケンス監督が、質問を待たずに自分のほうから切り出した。
 「ゴールキーパーは3人連れてきているが、きのうの練習で、そのうちの2人がけがをした。先発のゴールキーパーは、ひざを痛めていた。大丈夫だということで出したが、よくないようだったので交代させた」 
 つまり、最年長37歳のゴールキーパーを出したのは、ただ一人、けがをしていなかったから、というわけである。「3人連れてきていて、たすかった」という説明だった。
 けがや選手交代の理由など、チームの内部事情を、監督は必ずしも積極的に説明してくれるとはかぎらない。マスコミの報道で、次の試合相手に知られたり、チームの結束に影響すると困るからである。
 キリンカップの場合は、親善試合だということもあって、真相を話してくれたのかもしれない。 
 ペルーのカルロス・オブリタス監督の記者会見も丁寧だった。 
 ペルー代表はベストメンバーか、という質問に対して「連れてきたい選手が4人入っていない。国内の試合があるので、1クラブから3人までしか選ばないように枠をはめられたからだ」と説明した。 
 外国同士の試合の取材も悪くはない。タイプの違う試合を楽しめるし、外国の監督の話も勉強になるからである。


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