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サッカーマガジン 1999年6月2日号
ビバ!サッカー

Wカップのメディア論(9)
フォトグラファーの立場

 フランスから日韓へ、ワールドカップを考えるシリーズを断続的に連載していたが「メディア論」の途中で日本ユースの活躍などを取り上げたくなって2回中断した。今回からまた元の軌道に戻って、未来のために過去をふりかえる連載を続けることにする。

フランスの開幕試合
 ジャーナリストが、ワールドカップ取材のための登録を認められてADカードを手に入れても、現地で試合を見られるとは限らない。一つ一つの試合については、それぞれ記者席の切符が必要である。
 とはいえ、フランス大会の前までは、ジャーナリストにとっては、試合ごとの記者席の切符の割り当ては。それほど難しくはなかった。たいへんだったのは、スチール写真をとるカメラマンのほうである。
 テレビカメラを操作する人も「カメラマン」と呼ばれているので、まぎれがないように、動かない画像の写真を撮っているほうは、「フォトグラファー」と、ここでは呼ぶことにする。
 1998年6月10日、パリ郊外のサンドゥニ競技場で行なわれたフランス・ワールドカップ開幕試合のとき、日本のフォトグラファーの取材割り当てで一騒動があった。
 フィールドにおりて、ゴール裹の所定の場所から撮影するフォトグラファーの数は、両サイドで各100人、合計で200人ぐらいに制限されている。1000人以上いる登録フォトグラファーのなかから誰を選ぶかは現地の組織委員会に任されていて、選ばれた人の名前は、メディアセンターにたくさん配置されているコンピューターで見ることができる。
 フランスに乗り込んだ日本のフォトグラファーは、コンピューターの画面をあけてみて驚いた。読売、朝日、毎日など日本の有力な新聞社が派遣したフォトグラファーの名前はまったく入っていなかった。

日本の全国紙を除外
 日本の有力な一般報道機関のフォトグラファーで名前が出ていたのは「時事」の特派員だけだった。「時事」は新聞社ではなく通信社である。通信社は、契約あるいは加盟している新聞や雑誌に、記事や写真を有料で提供するのが仕事である。
 日本から登録したフォトグラファーで、開幕試合のフィールドからの撮影を認められていたのは、時事通信のほかでは、数人のフリーランスだけだった。これは日本のジャーナリズムの「常識」からみると「おかしなこと」だった。
 とはいえ、ヨーロッパのジャーナリズムの常識から見ると、これは必ずしも「非常識」ではない。たとえば、こういう考え方がある。
 「世界中には新聞は数えきれないほどある。その一つ一つに権利を認めるなんて不可能だ。通信社には取材を認めるから、新聞は通信社が撮影した写真を買えばいい」
 フリーフンスについては、こうである。フリーランスとは、特定の新聞、雑誌、通信社に属していない独立のジャーナリスト、フォトグラファーのことだ。
 「フリーランスのなかには、サッカーを専門に取材して長い期間の実績を持ち、信頼できるプロフェッショナルがある。雑誌は、そういうフリーランスの作品を買えばいい」
 FIFA(国際サッカー連盟)では、もともと、こういう考え方が有力だった。だからフランスの開幕試合の撮影割り当ても、あながち「おかしなこと」とばかりは言えないのかもしれない。

欧州の常識と日本の常識
 逆に、ヨーロッパの「常識」は日本の「非常識」ということになる。
 通信社についていえば、日本でもっとも有力な通信社は「共同」である。にもかかわらず、フランスで時事が認められたのはなぜか?
 当時、現場で横行した憶測は次のようなものだった。
 時事はフランスのAFPと提携している。共同の欧州での主たる提携先はイギリスのロイターである。フランスのワールドカップだから、地元のAFPが提携している時事を推したのではないか、というわけである。
 しかし、共同が認められたとしても問題はある。
 日本では新聞の全国紙の力が非常に強い。国内での取材網は、読売や朝日の単独の全国紙のほうが通信社よりも強力である。そのため、全国紙は、共同通信に加盟しないで、外国からのニュース記事だけしか共同とは契約していない。通信社だけを認めると日本の有力なマスコミを除外する結果になりかねない。
 フリーランスについていえば、国際的に活躍している日本人の専門フォトグラファーもいるが、日本の新聞社が、フリーランスの写真を買うことは滅多にない。
 日本の全国紙は数百万部から1千万部の発行部数をもつ。発行部数は世界一である。国内での影響力は、きわめて大きい。
 フリーランスでなく「新聞社の特派したフォトグラファーに取材させろ」というのが日本の新聞社の主張だった。これにも一理ある。


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