日本で2002年のワールドカップ候補地を決めるとき、競技場のスタンドに屋根をつけることが条件だった。ところが1998年のフランス大会の会場のなかには、スタンドに屋根のないところもあった。「おかしいじゃないか」という人がいたのも無理はない。
スタンドの傾斜
日本のスタジアムの雰囲気が盛り上がりにくいのは、なぜか。
大きな理由が二つある。
一つは、陸上競技と兼用で、スタンドとフィールドとの間に距離がありすぎることである。トラックがあるうえに、その外側に競技運営の役員のためのスペースが広く取ってある。そのために、観客とプレーヤーとの一体感が生まれない。
雰囲気が盛り上がりにくい理由の第二は、日本の競技場のスタンドの傾斜が、ゆるやかなことである。
スタンドの傾斜が、なぜ雰囲気に影響するのかは、ぼくには実は分かっていない。ただ経験的に、そう感じているだけである。
欧州や中南米には、10万人以上を収容すると称している大スタジアムがある。こういう競技場の3階席にあがると、フィールドとの物理的な距離はかなり遠い。だから選手は豆粒のようにしか見えないのだが、心理的には、選手を身近に感じることができる。これは不思議である。
日本の競技場では、4万人程度の収容力の競技場でも、フィールドとの距離が遠い感じがする。これは陸上競技のトラックが間にあるためばかりではないようである。
「原因はスタンドの傾斜である」というのが、ぼくの経験からの結論である。スタンドの傾斜が急であれば、スタンドとフィールドの一体感が増幅される。
スタンドの傾斜がゆるやかだと、観客と選手との空間が、実際の距離以上に感じられて、あけっぴろげな雰囲気になる。
装飾的な屋根?
「欧州のサッカー場では、スタンドの屋根に歓声がこだまする。だから雰囲気が盛り上がるんだ」という友人もいる。これは、ちょっと違うと思う。欧州や南米に、屋根のないサッカー場はたくさんある。それでも雰囲気は盛り上がっている。
2002年のワールドカップの会場候補を選定するときに、スタンドを屋根で覆うことが条件になった。広島は、現在のスタジアムに屋根を付け加えるには多額の経費を要するというので、この条件を満たさなかった。フランス・ワールドカップのときに、スタンドに屋根のない会場があったのを見て、憤慨した広島のファンもいたに違いない。
屋根が必要かどうかは、気候と使用目的による。雨の降らない土地、陽射しのおだやかな地方では、スタンドの屋根は必要ない。また雨が降れば試合を中止するスポーツでは、屋根はなくてもいい。
日本は雨が多い国であり、サッカーは雨が降っても試合をするスポーツである。だからスタジアムのスタンドに、屋根はぜひ必要である。
しかし、お客さんの視野を妨げる支柱を立てないで屋根をかけるのには、高度な建築技術が必要だし、費用もかかる。
日本の建築法規では、スタンドの傾斜をゆるやかにしなければならないので屋根は大きくなるし、技術も難しくなる。そのために、スタンドをたっぷり覆うことができないで、ちょっとの雨でも降り込んでくる屋根が多い。結局は装飾的な役割しかはたしていない。
神戸球技場の場合
屋根つきのドーム球場は、屋根つきスタンドとは事情が違う。ドームは建設にも、維持にも、お金が掛かりすぎるので、サッカーにとっては必ずしも適当ではない。
神戸では、ワールドカップのスタジアムを、ユニバーシアードのときに作った西神地区のスタジアムから市街地にある御崎の中央球技場に変更した。
中央球技場は、日本ではじめてコーナーライティングの照明設備をつけ、立見席に人なだれ防止の柵を付けたコンパクトなサッカー場だった。施設が老朽化したので、建て替えてワールドカップの会場にすることになったものである。
陸上競技のトラックがないので雰囲気は盛り上がりやすいだろうと思う。スタンドの傾斜は欧米並みにはできないだろうが、もちろん屋根はつく。
ここは、ワールドカップが終わった後に、さらに追加工事をしてフィールドの上も開閉式の屋根で覆うことになっている。つまりドームになるわけである。
野球場として使う予定はない。サッカーのためならドームにする必要はない。それでも巨額の追加投資をして、屋根で覆うという。
何のためかというと、近隣の住民が、ナイターの試合の騒音に苦情をいうおそれがあるからである。
欧州のサッカー場では、スタジアム近くの住民は、ベランダに旗を掲げて応援している。こういうスポーツと地域とのつながりを育てるのは無理だろうか?
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