欧米のサッカー・スタジアムには独特の雰囲気がある。それは地域と人びととスタジアムが一体になって作り上げている。その一つの要素は、スタジアムが陸上競技場ではなく、サッカー専用だということからきている。この雰囲気を2002年へ向けて急に作り上げることは難しい。
競技場の雰囲気
フランスのワールドカップを見てまわりながら「日韓共催の4年後に、これだけは間に合わないな」と思ったのはスタジアムだった。
2002年のために日本各地で用意されるスタジアムのなかには、これから工事のはじまるところもあるし、工事途上のものもある。したがってフランス各地のスタジアムを見て、学ぶべき点があれば学んで、計画を手直しする時間的余裕はある。技術的には「間に合う」はずである。
しかし「日本でまねるのは無理」と思ったのは、競技場の設備のすばらしさではなく、競技場のもつ雰囲気だった。長いサッカーの歴史のなかで培われた雰囲気を、4年間でかもし出すのは不可能である。
スタジアムの雰囲気を作っているのは、第一には、そこを利用する人たちの行動であり、第二には、そのスタジアムを取り巻く近隣の住民たちとの関係である。
利用する人たち、つまりチームと観客の間の雰囲気は、Jリーグ発足のあと、急速に欧州なみになってきた。これは2002年に役立ちそうである。
近隣の住民たちとの関係は、なかなか難しい。
欧州の国でサッカーを見にいくと、駅をおりてからスタジアムに行く途中の道の両側のアパートの窓やベランダから、国旗やクラブの旗がぶらさがっていて、近隣の住民がサッカーに巻き込まれている雰囲気を知ることができる。
しかし一方で、サポーターの騒音と無軌道も問題になっている。
陸上競技場との両立
スタジアムの雰囲気を作っている要素の第三には、スタジアムそのものの構造がある。
ぼくの考えでは、これには、さらに二つの要素がある。一つは、陸上競技場かどうかであり、もう一つの要素は、スタンドの傾斜である。
まず陸上競技場との兼ね合いについて考えてみよう。
陸上競技場では、観客席とフィールドとの間に8、もしくは9コースのトラックがある。日本では、さらにその外側に陸上競技を運営するためのスペースをゆったりと取ってある。そのために、観客と試合との距離が遠くなって、一体の雰囲気を作るのを妨げている。これはよくない。
ぼくの考えでは、ワールドカップのスタジアムは、陸上競技場との兼用ではなく、サッカー専用であるべきである。
こういう考えに反対なのは、日本サッカー協会の岡野俊一郎会長である。岡野さんは、スポーツ施設は効率的に利用すべきであって、一つの施設をサッカーにも陸上競技にも使えるほうがいい、という大局的な考えである。
昨年(1998年)の11月に、新潟で2002年ワールドカップについてのシンポジウムがあった。岡野さんがパネリストで、ぼくがコーディネーターつまり司会者だった。
その席で岡野会長が発言した。
「多くのサッカー仲間からは非難されているのですが、私はサッカースタジアムは、陸上競技と兼用でいいと考えています」
これも一つの見識ではあるが…。
観客と一体の雰囲気
イタリアやフランスのワールドカップが、すばらしかった一つの理由は、多くの会場がサッカー専用だったことである。そのおかげで、観客と試合が一体となって、独特の雰囲気を作り出していた。
その点で見劣りしたのは1974年の西ドイツ大会である。
もう四半世紀前の話だが、当時、売れっ子だった英国のサッカー評論家のエリック・バッティ氏と岡野さんがドイツで対談し、ぼくが司会をしたことがある。その記事は、当時のサッカー・マガジンに掲載されているはずである。
バッティ氏は、こう言った。
「ドイツのワールドカップは、規律正しく運営されている。試合の内容もすばらしい。ただ一つの欠点はスタジアムだ。みな陸上競技場との兼用で、観客にとっては見易いワールドカップではない」
2002年のワールドカップは、1974年西ドイツ大会の改訂版になるのではないかと、ぼくは思っている。日本と韓国の新しいスタジアムには、光ファイバーの回路が張りめぐらされ、パラボラ・アンテナから情報が宇宙に飛ぶように、なっているだろう。
しかし、観客がチームと一体になって試合を盛り上げるような雰囲気作りが考慮されているだろうか?
そういうことを考えると、日韓共催大会がフランス並みになるとは思えない。
ところで、もう一つ。スタンドの傾斜の問題がある、これは次回に取り上げることにしよう。 |