2002年へ向けてのシリーズの一環として、ワールドカップの施設について考えている。大観衆を収容するスタジアムを大会の後でどう使うのかが大きな問題なのだが、実は、これは日本だけの悩みである。他の国では、大会の後でもサッカーのために有効に使えるからである。
国体のための施設
ワールドカップのために豪華な施設を建設して、大会の後に何に使うのか――という批判を聞く。
外国では、そういう批判は、あまり聞かない。なぜなら、日本以外の国では、ワールドカップのためにサッカー・スタジアムを建設するのではなく、国内のサッカーリーグのために、地元チームの本拠スタジアムを整備して、ワールドカップに「貸してやる」だけだからである。ワールドカップが先か、地元のクラブチームが先かといえば当然、地元クラブが先である。
1994年の米国大会でも、事情は同じだった。米国ではサッカーではなく、アメリカン・フットボールだったのが違ったところである。
ところが日本では、そうはいかない。その原因は、日本ではサッカーがまだ、それほどポピュラーなスポーツではないというだけでなく、多くの巨大スタジアムが、国民体育大会という一過性のイベントのために建設されるからである。
国民体育大会は都道府県持ち回りで毎年開かれる。したがって一つの県では47年に一度、開かれるわけである。
その半世紀に一度の国体のために数万人収容の陸上競技場を建設するのが習いになっている。既設競技場の改修もあるが、半世紀もたてば耐用年限はきれるから、まあ、ほとんど新しく建設することになる。
国体のためのスタジアムを、ワールドカップでも使ってみようというのが一部の県での実態である。日常的な有効利用は考えられていない。
半世紀に1日の行事
国体では大スタジアムを何に使うのかといえば開会式のためである。
陸上競技のためにも、もちろん使うが、陸上競技で数万人収容のスタンドが埋まることは、まずない。
しかし開会式は、入場行進する選手団だけでも1万数千人である。開会式の前後に、地元の人びとによる歌や踊りのショウがある。それに出演する人や、それを見にくる親戚知人だけでもスタンドは埋まる。
開催地の人びとにとっては、国体は半世紀に1度のイベントだから、開会式はぜひ見たい気持ちになる。
残念ながら競技会のほうは、最近ではトップレベルの選手が国体には出ないので、テレビで目の肥えた大衆は見にこない。関係者か、動員された生徒たちだけということになる。
そういうわけで、地方の県のスタジアムは、半世紀に1日のイベントのためのもので、それをワールドカップに「貸してくれる」わけである。
日本のスポーツが欧州並みなら、話は逆でなければならない。
サッカーが日常的に大観衆を集めていて、そのスタジアムを半世紀に1度の国体や何世紀に1度のワールドカップのために「貸してやる」のでなければならない。
そうなるためには、Jリーグが地域に根を下ろして、いつもスタンドをいっぱいにするようでなければならないが、残念ながら現状は、そうではない。
そこで課題は、ワールドカップを機会に、その後はサッカーがスタジアムを有効に使えるように手立てを講じることである。
Jリーグの責務
人囗30万人あるいは50万人の都市にプロのサッカーチームがあって、2万人あるいは4万人のスタジアムにファンを集めることは不可能ではない。欧州や中南米では成り立っているのだから、日本でできないはずはない。
その程度の規模の都市を本拠地にトップレベルのチームが2つは成り立つ。スタジアムは一つでいい。一つがホームで試合する日に、もう一つのチームはアウェーに出ればいいからである。そういう例も、欧米にはいくらでもある。横浜に2チームは無理だといって、マリノスとフリューゲルスの合併を是認したJリーグの首脳は、どうかしている。
2002年のワールドカップのあとに、各会場都市でサッカークラブの経営が成り立つような施策を講じるのは、Jリーグの首脳部の責務である。1部リーグのJ1だけではない。2部リーグのJ2のクラブの経営も成り立つようにしなければならない。それだけではない。セミプロが主力の地域リーグのチームも経営できるようでなければならない。
「自治体が援助すべきだ」という甘えた考えには、ぼくは反対である。県民、市民の税金を預かっている身として、自治体がサッカーだけを特別に応援するわけにはいかないのは当然である。自治体所有のスタジアムを地域に根ざしたチームに「貸してやる」程度のことになる。
それでもいい。
2002年のあとに、仙台や新潟や大分で、Jリーグのチームが成功しているのを見たいものである。
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