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サッカーマガジン 1999年2月24日号
ビバ!サッカー

Wカップのスタジアム(1)
地域に望まれる施設作りを

 フランス・ワールドカップのあと、このビバ!サッカーでも2002年へのシリーズを連載していたのだが、Jリーグやオリンピックに次つぎと問題が起きたので、一時、中断していた。しかし日韓共催大会へ向けての足音も高くなってきたので、ここらで連載に戻ることにする。

大阪五輪の競技施設
 オリンピックの総元締めであるIOC(国際オリンピック委員会)のスキャンダル摘発が、どんどん拡大してきたので、日本政府は大阪オリンピック招致推進の動きにブレーキをかけた。招致委員会発足の総会に小渕首相が出席を見合わせるという件である。とはいえ、ブレーキといっても、たぶん一時的なもので、世論の黄信号を見て減速してみせただけだろう。
 大阪が狙っているオリンピックは次の次、2008年である。中国の北京も立候補を表明していてアジア同士の対決になる可能性が強い。
 主要な競技施設は、大阪湾の埋立地の舞洲(まいしま)に集めることにしており、開閉会式、陸上競技、サッカーが行なわれるメーン・スタジアムや水泳プールなどを建設することになっている。
 このうち、水泳プールの観客席は全部仮設にして、オリンピックが終わったら撤去する、という案が最近になって出てきた。お金がかかりすぎる、オリンピックが終わったあとは必要ない、という批判をかわす狙いのようだ。
 ぼくの考えでは、こういうあたりがオリンピックのよくないところである。オリンピック以外に使い道がないものは、はじめから作らなければいいじゃないかと思う。
 水泳プールに大観客席がいらないのなら、陸上競技場だって同じである。2008年のあとに、7万〜10万人のお客さんを集める陸上競技会が定期的に開かれるなんて想像できない。

ロス五輪は模範的!
 オリンピックの贈収賄スキャンダルをめぐって、スポーツの商業化批判が再燃している。スポーツにとって具合の悪いことが起きると、ポケットから「商業化」と書いたカードを取り出して、お手軽に批判する連中には毎度、うんざりする。
 オリンピック商業化の元となった大会として1984年のロサンゼルス・オリンピックが引き合いに出されている。これもお手軽批判の常用カードである。
 しかし、思い出していただきたい。1984年ロサンゼルス大会は、テレビ放映権料とスポンサー制度によって収入をはかる一方、新しい施設を建設しないで支出を抑えた大会だった。
 開閉会式と陸上競技の行なわれたスタジアムは半世紀以上前、1932年のオリンピックでも会場だったところである。その後、アメリカン・フットボールの競技場として満員のお客さんを集め、活用されている。
 また、1984年ロサンゼルス大会は、徹底的に税金を使わなかったオリンピックだった。水泳プールは新設だったが、地元の大学の施設で寄付をしたコンビニ企業の名前がついていた。
 長野冬季オリンピックが「黒字」だったといっても、これは運営費だけの経理操作上のトリックである。税金で豪華な施設を作り、大会後の維持運営費に、また苦しまなければならないことは勘定に入っていない。
 施設にも、招致費用にも、運営費にも税金を投入する予定の大阪オリンピックも同然である。

サンドゥニは悪い例?
 「商業化は悪だ」と頭から決め付けないで見方を変えれば、ロサンゼルスは模範的な民営オリンピックだったということもできる。その後の大会は税金無駄遣いオリンピックである。
 さて、サッカーのワールドカップはどうか。
 これまでのワールドカップのスタジアムは、ほとんど既にあったものの利用である。さかのぼって、1994年の米国大会、1990年のイタリア大会、1986年のメキシコ大会など、みなそうだ。一部新設もあり、既設の大改修もあったが、いずれも国内リーグの試合で日常的に使用するためのものだった。
 前回のフランス大会も、基本的には同じだったのだが、開幕試合と決勝戦などが行なわれたパリ郊外のサンドゥニ競技場だけは例外だった。豪華で便利で、建築物としては超一流だったが、その後の利用のメドはたっていなかった。「パリ・サンジェルマンに本拠地移転を要請したが断られた」というような話が、大会中からニュースになっていた。
 ぼくは、サンドゥニは悪い例だと思っている。芸術としてはすばらしいが、住んで毎日暮らすには立派すぎる高級住宅のようなものである。
 2002年のための日本のスタジアムは、大部分が新設である。
 新設が悪いというわけではない。必要なものは作ればいい。ただし大会のために必要なものではなく、その地域に住む人たちにとって、望まれ、愛され、必要なものでなければならない。


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