アーカイブス・ヘッダー

 

   
サッカーマガジン 1999年2月3日号
ビバ!サッカー

日本の未来は輝いている!
好試合を楽しんだ年末年始

 1999年には明るい展望が開けるだろう――と予感している。12月から1月にかけて、いい試合をいくつも楽しむことができた。それも若い選手が、ぐんぐん伸びていることを示してくれた試合だった。いろんなことがあったけど、日本の未来は輝いていると信じたい。

若手が伸びている!
 好試合だった元日の天皇杯決勝で印象に残ったのは若い選手が、みなすばらしいことである。テクニックがいい、判断がいい、速さがある、思い切りがいい。
 とくにフリューゲルスのほうに若手のよさが目立った。
 決勝点をあげた吉田孝行は21歳、右からの攻め上がりのよかった波戸康広は22歳。ともに兵庫県の滝川二高出身である。ぼくはいま、兵庫県に住んでいて、兵庫大学に勤めているから「いいぞ、いいぞ」と心のなかで応援していた。
 同点ゴールをあげた久保山由清は22歳。これは静岡学園出身だ。
 エスパルスのほうでは、ご存じ市川大祐がファーム育ちで18歳、桐蔭学園出身の戸田和幸が21歳だ。
 個人のテクニックと判断力を伸ばす方針で選手を育ててきた高校出身の若手が、Jリーグでもまれて伸びてきているのだろうと思った。
 競技場からの帰りに一緒になった友人に「若い選手がいいね」と話しかけたら「若けりゃ、若いほどいいですよ。低年令を見れば、日本のサッカーの将来は明るいんだけど」と答えた。
 「伸びてきている若手をうまく生かせるかどうかが心配だ」といいたげだったが、ぼくは「日本の将来は輝いている」と信じている。
 若い選手たちは、多少のプレッシャーにはびくともしないで、しっかりとボールをコントロールし、自分の判断でプレーしていた。こういう選手たちは、多少のことでつぶされたりはしないと思う。

高校選手権の将来は?
 天皇杯が終わると高校選手権を見て歩くのが新聞社に勤めていたころの長年の習いだったが、大学に勤めるようになってから、仕事始めに間に合うように関西に戻るために、主としてテレビ観戦になった。個人的には、ちょっと残念である。
 今回もベスト4に進出した滝川二高を残して、一足先に兵庫に戻ってテレビ観戦した。滝川二高は準決勝で東福岡に3点を先行されながら、後半に2点を返して大いにわかせた。シュート数は東福岡より多かった。いま一歩だった。
 ただし、この「いま一歩」が、なかなか難しいところである。
 滝川二高の黒田和生監督は、将来に大きく伸びる選手を育てることを理想としてチームを育ててきた。そして同時に、高校選手権で勝つことも目標にしてきた。「育てること」と「勝つこと」の両立をめざしていた。
 天皇杯の決勝で活躍した若手を生んだ静岡学園や神奈川の桐蔭学園も、同じように理想の選手育成と高校選手権の勝利の二兎を追ってきたチームである。
 しかし、これも「いま一歩」で、なかなか成功しない。
 高校サッカーで「勝つこと」を徹底的に追求することが、全国で育ってきた若い才能を伸ばすことと両立するかどうか?
 同じ世代のタレントが、Jリーグのファームでも育ってきているとき高校選手権がこのままでいいのかどうかは、日本のサッカーにとって重要な、難しい課題だと思う。

トヨタカップに感慨!
 さて、これは日本の若手と直接の関係はないのだが、暮れの12月1日に東京の国立競技場で行なわれた第19回トヨタカップは、すばらしい高度な試合だった。技術的、戦術的にワールドカップ以上のレベルだった 世界のスターを集めたレアル・マドリッドの個人技とチームプレーのハーモニーに感動した一方で、自国のトップクラスを何百人もヨーロッパに輸出しながら、なおかつバスコ・ダ・ガマのような好チームを編成することのできるブラジルのサッカーの底の深さにも驚いた。
 この両チームには思い出がある。
 いまから40年ほど昔、ぼくが東京で新聞記者になったころ、レアル・マドリッドは欧州の最強チーム、バスコ・ダ・ガマもブラジルで全盛時代だった。そして、それぞれが極東遠征を計画しているという情報が外電で入ってきた。
 レアル・マドリッドのほうは、香港までは来るという話なので、日本へも来るんじゃないのかと思って、サッカー協会へ行って問い詰めた。
 「遠征したいと言ってきてはいるんだけどね」と当時の協会の実力者が、しぶしぶ認めた。
 「なぜ隠してたんですか。呼びましょうよ」
 「ギャラが1試合10万ドルなんだ。外貨もないし、とても成り立たないよ」と実力者が言い訳した。
 当時の為替レートで3600万円。
 いまの日本なら楽に払える金額だが、当時は、こんなチームを両方とも日本へ呼べる時代が来るとは想像もできなかった。


前の記事へ戻る
アーカイブス目次へ

コピーライツ