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サッカーマガジン 1999年1月27日号
ビバ!サッカー

優勝が生んだ悲劇の伝説
フリューゲルスに特別賞を

 横浜フリューゲルスの天皇杯優勝には、笑顔とともに涙と怒りがあった。こんないいチームが、なぜ姿を消さなければならないのか? 第78回天皇杯は、フリューゲルスを消滅に追い込んだJリーグ幹部の無策と企業スポーツのエゴを歴史に留める大会になった。

元日を飾った好試合
 見上げれば雲ひとつない青空だった。1999年元日の国立競技場。天皇杯の決勝戦は、今回もおだやかな冬に恵まれた。
 フィールドに選手たちが登場してきたとき、隣の席の友人が質問してきた。
 「どちらが勝ちそうかね」 
 「感じとしてはエスパルスだな。でもフリューゲルスが優勝するかもね。そのほうが話になるな」
 試合の展開は、ぼくのカンのとおりだった。 
 前半はエスパルスのペース。パスの組み立てが速い。速いだけでなく一つ一つのパスに、いい狙いがある。前半13分に右から伊東の送ったセンタリングに沢登が飛び込んでダイビング・ヘッドで先取点をあげた。 
 前半終了まぎわ、ロスタイムに入ってからフリューゲルスが同点にした。久保山がゴール前で相手の密集マークのなかでパスを受け、すばやく反転して抜け出してシュートした。その前の山口−永井の組み立てもよかったが、これは久保山の個人技のゴールである。ロスタイムが、どういうわけか異様に長く、これがフリューゲルスに幸いした。 
 1対1で迎えた後半は、フリューゲルスが持ち直した。73分に永井が持ち込み、吉田が勝ち越しゴール。試合後、この吉田が「マン・オブ・ザ・マッチ」に選ばれて自動車をもらっていたが、優勝の功労者は27歳の永井だろう。
 ともあれ、決勝戦にふさわしい好試合だった。

王者が消え去る珍事
 フリューゲルスが優勝して、ぼくの思惑どおり、1998年度天皇杯第78回全日本選手権決勝戦は「話」になった。
 どんな「話」か?
 もっとも強いチームが、王者になったとたんに姿を消した、という話である。
 次の年度には天皇杯を返還すべきチームがいなくなる。ディフェンデイング・チャンピオンがいなくなる。これは「珍事」ではないか。
 「珍事」というには、深刻すぎる話だと思っていたら、いくつかの新聞は「伝説」と表現していた。
 なるほど――。
 これは「伝説」として歴史に残る天皇杯である。
 すばらしいチームが、すばらしい試合をした。Jリーグのチャンピオンを争ったジュビロ磐田を破り、鹿島アントラーズを破って決勝に進出して優勝した。
 しかし、すばらしいプレーをしたチームは、優勝とともに消え去ることになった。選手たちは、未来へ希望を燃やして戦ったのではなく、過去に絶望しながら、歴史に栄光を残すための意地で戦って勝利したのだった。これは「伝説」として語り継ぐに値する。
 そこで、横浜フリューゲルスの新しい伝説に、ビバ!サッカーから特別賞を増ることにする。
 日本サッカー大賞は、すでに2号前に発表した。しかし、ビバ!サッカーは自由自在である。 
 歴史への刻印を確実にするために誌上に記録を加えることにする。

川淵氏にブーイング?
 ことの起こりは2カ月あまり前、横浜フリューゲルスが、横浜マリノスに吸収合併されるという発表だった。それ以来、フリューゲルスの選手たちは怒りと悲しみと悩みのなかで9連勝。特別賞は、この絶望のなかでの意地の戦いに贈りたい。
 決勝戦のあとで、ながったらしい表彰式があり、2位のエスパルスにNHK抔、メダル、フェアプレー賞、フリューゲルスに表彰状、JOC杯、竹腰重丸杯、NHK抔、共同通信社抔、メダルの授与が、だらだらと行なわれた。
 天皇杯を渡すだけで十分だ。ところが、勝者を讃えるためではなく授与する側の権威を示すために、お偉方がつぎつぎに授与者になって自己満足している。
 日本国の象徴である天皇陛下から賜ったカップの上に、さらにカップを重ねて胸を張っているなんて非礼きわまる。
 その点、わがビバ!サッカーの表彰は、表彰状もカップもない。ただサッカー・マガジンの誌上に記録を留めるのみである。
 選考は独断と偏見にもとづいているが、権威をみせびらかすことはない。権威は歴史が判定する。後世の人がビバ!サッカーを読んで、その独断と偏見が、実は百年後になってみると、熟慮と公正であったことを知るだろうと信じている。
 権威を誇るなかの実力者である川淵チェアマンが授与者になったとき、スタンドからブーイングが起きた。大衆は、早くも歴史的判断を示しはじめたのだろうか。


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