アーカイブス・ヘッダー

 

   
サッカーマガジン 1999年1月6日&13日号
ビバ!サッカー

ブルー軍団に日本サッカー大賞
敢闘に岡田監督、鹿島に技能賞

 ジャジャーン! 古い音だとお思いでしょうが、わが「ビバ!サッカー」が独断と偏見で選考する日本サッカー大賞を、今回も伝統を誇る、この鳴物で表彰したい。1998年度日本サッカー大賞には、切符がなくてもフランスへ出掛けたわが日本の涙ぐましいサポーター軍団へ!

W杯の日本サポーター
 1998年のもっとも重大な出来事は、フランスのワールドカップでサポーターのための入場券が宙に迷った事件だった。
 幽霊入場券事件は、まだ真相未解明の部分があるとはいえ、さんざん書かれたので、ここでは改めて説明しない。とにかく日本だけでなく、多くの国のサポーターのワールドカップの入場券が、幻になってしまった。それでもブルーのユニホームに身を包んだ、わが日本のサポーター軍団の多くは「何はなくともフランスへ」と、スタジアムへ入ることができる保証はなくても、とにかく飛行機には乗ったのだった。その無謀な勇気と熱竟に敬意を表して、
 ジャジャーン!
 1998年の日本サッカー大賞は「入場券がなくてもフランスへ応援に出掛けた日本のサポーターたち」に贈ることにする。
 さて、旅行会社が約束していた入場券は幻になっても、多くの日本のサポーターたちはツールーズやナントのスタジアムをブルーのユニホームで埋めていた。
 これは切符を手配できなかった旅行会社にとっては大きなショックだったらしい。プロの自分たちが手に入れられなかった入場券を、シロートのサポーターたちが、どうやって手に入れたのだろうか? というわけである。
 公平を期するために付け加えると、多くの日本の旅行会社は、入場券詐欺にだまされたあと、お客さんのために何とかしようと涙ぐましい努力をした。それは認めてやらなければならない。

ツールーズの美談
 ぼくの友人の一人も「とにかく行けば、なんとかなるさ」と入場券入手のあてもなく飛行機に乗った。まずはツールーズで行なわれる日本対アルゼンチンの試合が目的である。
 試合当日。
 スタジアムへ行くために地下鉄に乗ったら、車中でフランス人のご婦人が声をかけてきた。その友人は多少なりともフランス語を話せたのがラッキーだった。 
 「日本人ですか?」 
 「ウイ(ええ、そうです)」 
 「ワールドカップを見に、いらっしゃったのですか?」 
 「ウイ」 
 「入場券はお持ちですか?」 
 「ノン」 
 「わたしは、日本対アルゼンチンの切符を持っています。あなたに差し上げます」
 「ええっ! トレ・ビアン!」
 てなもんである。
 思うに、そのご婦人はツールーズの市民で、地元の市民だから入場券を優先的に買うことができたのだろう。そして、開幕当日まで、その切符を持っていたのだから、自分で見に行くつもりだっただろう。
 しかし、新聞を見て、多くの日本人のファンが、はるばる日本から応援にきながら入場券を手に入れられないことを知った。「そんな、かわいそうな」と、持っている入場券を無料で譲るつもりで地下鉄に乗ったのである。
 ツールーズは出家ロートレックの出身地である。さすがに市民の教養は奥深い。

いさぎよい出処進退
 というわけで――。
 入場券の当てもなしにツールーズヘ出掛けた日本のサポーターたちに大賞を贈るとともに、その無謀な日本人を温かく迎えてくれたツールーズ市民に「殊勲賞」を贈る。
 ここに書いたのは一つの例であって、同じようにツールーズ市民の温かい心に触れた日本のサポーターは、たくさんいたことを聞いている。サッカー万歳!人間万歳!である。 
 さて、敢闘賞は日本代表の監督だった岡田武史氏に贈る。
 岡田監督は、ワールドカップ本番では3戦全敗でいいところはなかった。 
 「1勝1引き分け1敗」「城を柱に」といった失言も、おそまつだった。しかし、その出処進退の「あざやかさ」には感心している。
 加茂監督解任のあと予選の残りを引き受け、子選突破に成功するとワールドカップ終了までを期限に留任した。
 しかし3戦全敗に終わると直ちに「自分の責任で代表からはずした選手もいる。結果が出たあと、自分がさらにチームに残ることはできない」と、すぐに辞任を表明した。
 いずれも適切で、いさぎよい。 
 同時に責任をとって辞任すべき強化委員長が、まるで他人事のように居残って、後任監督の推薦や評価までやっている厚顔無恥にくらべれば月とすっぽんである。 
 技能賞は、Jリーグの経営が嵐の年だっただけに、鹿島アントラーズの経営陣に贈る。創設以来、地方の都市でクラブを維持し、優勝するチームを育ててきた手腕は、たいしたものである。


前の記事へ戻る
アーカイブス目次へ

コピーライツ