フランス大会から2002年へ向けての連載をしばらく中断して、Jリーグの大騒ぎを取り上げたい。フリューゲルスやヴェルディに何がおきたのか。選手の給料はなぜ高すぎたのか。Jリーグを立て直すには、どうすればいいのか。まずは読売新聞のヴェルディ撤退から。
☆日本テレビヘー本化
「読売新聞、ヴェルディから撤退」と日本経済新聞が11月12日付けのスポーツ面のトップに大きな見出しでスクープした。他の新聞も、その日の夕刊や翌日付けの朝刊で追い掛けた。
ヴェルディの母体は「株式会社読売日本サッカークラブ」だった。読売新聞社と日本テレビが49パーセントずつ、練習場とクラブハウスのある「よみうりランド」が2パーセントを出資していた。そのうち読売新聞社と「よみうりランド」が、株を日本テレビに移譲して経営を一本化するというニュースである。11月17日に正式発表され会社名は「日本テレビフットボールクラブ」になり、社長は読売新聞の出身者から日本テレビの出身の坂田信久氏に代わった。新社長は、ぼくの長年の友人である。
ヴェルディの前身の「読売サッカークラブ」ができたのは1969年である。ちょうど30年目に読売新聞が手を引くことになったわけだ。
実は、もともとサッカークラブは日本テレビ主体で運営されていた。創立当初の経費分担は新聞社とテレビ局が4000万円ずつ、よみうりランドが2000万円で「4:4:2」と称していた。経費の分担は折半だが、設立の主唱者であり、初代の事務局長だった笹波昭平さんは、日本テレビの運動部(スポーツ部)の人だった。「4:4:2」といっても、三つの会社のオーナーである正力松太郎氏からみれば、右のポケットから4、左のポケットから4、胸のポケットから2を出すという程度のことだった。
☆サラリーマン社長
そういうわけだから「読売新聞が撤退」といっても、読売グループが手を引いたわけではない。お金を全部、右のポケットに入れ替えただけとみることもできる。
そういう点では、全日空と佐藤工業に放り出されたフリューゲルスとは、事情が違う。読売グループは、まだ、からくもサッカーに踏み止まっている。
とはいえ、読売新聞の渡辺社長も、日本テレビの氏家社長も、かっての正力松太郎氏のような読売グループのオーナーではない。正力氏は自分のアイディアと力で読売グループを育て上げた人物だったが、いまの社長は社員からトップヘ出世した、いわば「サラリーマン社長」である。
自分で会社を作り上げたオーナーなら、サッカークラブが多少の赤字を出しても、本家の屋台骨が揺るがないかぎり「オーナーの道楽だ」ということで終わりになる。しかし、サラリーマン社長は、経営を委ねられている立場として、赤字を出し続ける部門は切るほかはない。
ヴェルディは、Jリーグの規約と組織にしばられているから、クラブは、自分の思い通りに赤字解消の手を打つことができない。そんな不自由な部門は廃止しようと考えるのは当然である。
読売の渡辺社長が、川淵チェアマンを非難攻撃していたので「地域に根ざすクラブを育てる」という「Jリーグの理念を理解していない」とサッカー側からは批判されている。しかし、経営の立場としては、利益のない部門を切るのは当然である。
☆現実に合わない理念
ぼくは、サッカー・マガジン創刊のころから30年以上にわたって「地域に根ざしたクラブ組織でプロのサッカーを」と誌面でキャンペーンし続けてきた。川淵チェアマンよりずっと前から同じ「理念」を説き続けてきたわけである。疑い深い人は、国会図書館にでも行って、マガジンのバックナンバーをずっと眺めてもらいたい。
ヴェルディの前身の読売サッカークラブの創設に協力したのも、この自分の「理念」を、読売の力で実現させたかったからである。それだけに、今回の「撤退」は個人の感情としては、まことに残念である。
実をいえば、日本の有力新聞は全国紙だから「地域に根ざしたクラブ」を応援するのには、あまり適当ではなかった。新聞は全国区で売らなければならないから、特定の地域だけに肩入れするのは不都合である。しかし全国紙だけに影響力は大きいから、新聞に見放されるのは、サッカーのPRのためには、きわめて不得策である。そこのところの、兼ね合いは現実的に考える必要がある。
テレビの場合はどうか。
日本テレビは「キー局」で、各県の系列地方局とネットワークを作っている。したがって、こちらも全国区である。しかし、いまテレビはデジタル化によって、1家庭で数百チャンネルを見ることができるような時代を迎えようとしているので、番組(ソフト)としてスポーツは、ますます重要になっている。だからヴェルディをテレビのほうに移したわけで、これは現実的な対応だった。 |