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サッカーマガジン 1998年10月28日号
ビバ!サッカー

W杯の入場券問題(一)
−2002年に向けてH−

 フランスのワールドカップは、過去の大会にくらべて、いろいろな面で、もっともうまく運営された大会だったが、幽霊入場券事件だけは、これまでにない大きな失敗だった。あのスキャンダルが起きた背景を、2002年への教訓として解明しておかなければならない。

☆直前に起きたトラブル
 ワールドカップ・フランス大会の直前になって、入場券が大量に足りないことが分かって大騒ぎになった。応援ツアーのための入場券の一部が日本の旅行業者の手元に届かない、というのである。
 やがて、届かないのは「一部」ではなくて大部分だということが明らかになった。被害者は数万人という規模で、日本だけでなく、ブラジルでも、イギリスでも、ドイツでも同じような事件が起きていることが分かってきた。
 事件が表面に出たとき、ぼくはすでにパリに行っていて、日本での大騒ぎの始まりは知らなかった。大会開幕の前日に「ブラジルの業者が入場券がないのにツアーを組んで、ファンが立往生している」という小さな記事を英語の新聞で読んで「ひとごと」のように思っていた。
 ところが、そのころ、日本では大騒ぎが始まっていたらしい。
 大会が終わったあと、日本へ帰ってから山積みになっていた新聞を引っ繰り返してみると、6月10日付けの朝日新聞の朝刊の報道がいちばん早い。
 社会面に「開幕前夜。熱いフランス」という、ありきたりの見出しの前触れ記事があって、その傍に「チケットない、業者やきもき」というパリ発のクレジットの記事の見出しが添えてある。「ワールドカップの入場券の発券が大幅に遅れている」という内容で、組織委員会の不手際だと見ている。発券の遅れではなく切符そのものがないことには気が付いていない。

☆大がかりな国際詐欺
 同じ日の夕刊になると1面で「W杯入場券予約重複、1万2000枚不足」と、日本の旅行業者の大手8社が軒並みに同じような目にあっており、規模の大きいことが明らかになっている。しかし、原因は「予約の重複」となっている。
 いまとなっては明らかなことだと思うが、原因は「発券の遅れ」でもなければ「予約の重複」でもない。また、あとで報道されたような「横流し」でもない。旅行業者があてにしていた切符は、はじめから「なかった」ので、これは国際的な大がかりな詐欺事件である。
 日本では、入場券不足が明るみに出た当初から運輸省が業者たちに報告を求めて調査した。調査結果は8月28日に発表され、29日付けの新聞に載っている。
 それによると、日本の大手旅行業者が確保できなかったのは、募集の約半分の2万2600枚だった。
 しかし、旅行業者が正規に確保できた枚数は、もっと少なかったはずである。日本の大手の旅行会社は裏ルートでダフ屋などから切符を買い漁り、1枚でも多く手に入れようと最後まで努力していたからである。それでも半分しか調達できなかったということである。 
 こんなに大量の切符が「重複」して発行されたり「横流し」されたとは思われない。もともと「ない」切符を旅行業者が買っていたので、ツアーに申し込んだお客さんは、もちろん被害者だが、旅行業者も詐欺の被害者である。詐欺にあったのは、お粗末だが、犯人ではない。

☆旅行業者の対応
 旅行業者は、どのようにしてだまされたのだろうか?
 この「詐欺のメカニズム」は、改めて検討してみたいが、とりあえず要約していうと次のようになる。
 日本の大手旅行業者は、ワールドカップの入場券の割り当てをもらう権利を持っていなかった。それでもツアーを募集したので、入場券は権利を持っている業者を通じて手に入れるほかはなかった。
 権利を持っている業者から直接、手に入れることができない場合には、いくつもの仲介者を経ることになった。その過程で「だまされた」わけである。
 だまされた日本の業者の対応はさまざまだった。
 ある会社は、ツアーを全面的に中止した。旅行代金は全額払い戻しである。1人5万円の「お詫び料」を払ったところもある。
 ある会社は、キャンセルする客には「お詫び料」を払ったが、入場券が手に入らないことがあるのを承知で参加する客のためにはツアーを強行した。参加した客のためには、ブラック・マーケットで切符を探し求めた。
 ある会社は、予定どおりツアーを行なったが、入場券が手に入らなかった場合には、航空運賃とホテル代を含めて全額を払い戻した。つまり入場券をもらえなかった人は、タダでヨーロッパ旅行ができたわけである。2試合観戦のツアーで1試合しか見られなかった人には、旅行代金の半額を払い戻した。
 旅行業界にとっては、これまでにない手痛い経験だった。


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