フランスにはフランスのサッカーの運営方法があった。交通・輸送についても、そうだった。試合が延長戦になっても、列車は試合終了後に出るようになっていた。これはサッカーに経験の深い国のやり方である。2002年で日本も学ぶべきところがあるのではないか。
☆発車は試合終了後!
子どものころに「通りゃんせ」という遊びがあった。
「行きはよいよい、帰りはこわい。こわいながらも通りゃんせ」という童謡もあった。ワールドカップの試合を見に行くときの状況は、この歌がぴったりだ。
試合当日。行きは問題ない。キックオフは午後遅くか夜である。道や電車が混んでいても、早めに出掛ければ時間はたっぷりある。
問題は帰りだ。
試合が終わると、数万人のお客さんが、いっせいに帰りの乗り物に殺到する。しかも試合終了は深夜になることも多い。帰りの終列車に間に合うだろうか。
1990年のイタリア大会のときの話を一つ紹介しておこう。
友人がローマに宿をとっていてトリノヘ準決勝の試合を見にきた。試合終了後にローマに帰るためには、夜行列車の座席を予約しておいた。
ところが試合は延長戦になった。最後まで見ているとローマ行きの終列車に間に合わない。友人は試合の結果を見極めるのを断念して、競技場を出て駅へ向かった。
列車はプラットフォームに入線していた。あわてて乗り込んだが、お客さんはほとんどいなくて、なかなか発車しない。1時間半以上たってから、お客さんがどっと乗り込んできて、ようやく出発となった。
なんのことはない。列車は試合終了を待っていたのだった。地元のイタリア人のお客さんは、列車が待ってくれることを知っていて、PK戦まで、たっぷり楽しんでから、駅へ来たのだった。
☆案内の問題ではない
フランス大会でも事情は同じだった。ナントでも、リヨンでも、マルセイユでも、試合終了後に間に合うように、パリ行きの列車が組んであった。イタリア大会のときの友人の経験を聞いていたから、ぼくは入念にワールドカップ用の時刻表を見てみた。そしたら、ちゃんと「延長戦の場合は発車は遅れます」と書いてあるではないか。
友人が体験した1990年のトリノのケースでも、説明をちゃんと読めば、延長戦の場合は発車は「試合終了後」と書いてあったのかもしれない。おそらく英語での説明もあったのではないか。友人は、それを見落としていたのだろうと思う。
今回のフランス大会の運営について「外国人に対する案内が不十分だった」という意見がある。
たしかに、その国の事情に不案内なエトランジェは、右往左往することが多かった。しかし、ある程度はこれは止むを得ないことである。注意深くみればフランス語だけでなく英語でも案内を書いてあっただろう。そのうえ「日本語でも書け」と要求するのは無理な注文である。
ポイントは「案内の問題」ではなく「サッカーにおける異文化理解」だろうと思う。
イタリア人やフランス人にとって「終列車が出るのは試合終了後」というのは、ワールドカップのための特別なことではなくて、ふだん国内やヨーロッパの重要な試合のときには、当たり前に行なわれていることなのである。つまり彼らのサッカー文化の一部なのである。
☆サッカーの異文化理解
フランス大会のとき、決勝戦が終わったのは深夜だった。ジャーナリストたちが、原稿を送りおわるのは午前2時ごろになる。競技場はパリ郊外のサンドゥニである。
「もう地下鉄も鉄道も終わっただろうな。タクシーを呼ばなけりゃならないけど、パリの町中はフランス優勝のお祭り騒ぎで大混雑だろうから来てくれるかな」と、日本の記者たちは心配していた。
ところが、この夜のパリの地下鉄は終夜運転、しかも無料だった。なにも心配することはない。タダの地下鉄で、支局まで、あるいはホテルまで帰ることができた。
こういうことは、あるいは新聞にも書いてあって、フランス語ができれば、あらかじめ分かったのかもしれない。
しかし、これはフランス語が達者かどうかの問題ではなくて、パリの市民の文化を理解しているかどうかの問題だと、ぼくは思う。
フランスが優勝して、パリはお祭騒ぎになる。その場合は、地下鉄は無料で終夜運転する――というようなことは、パリのサッカー文化のなかでは常識だったのではないか。
日韓共催の2002年ワールドカップのときに、異文化理解の問題はたくさん、おきるだろう。
日本と韓国、それに世界の多くの国ぐにの文化は、それぞれ違う。違いを、まるごと理解してもらうのは難しい。
ことばの壁を、できるだけ低くする努力は必要だが、文化の違いをすなおに認めあうことも必要である。
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