日本サッカー協会の長沼健会長が辞任して、新会長に岡野俊一郎氏が就任した。同じ仲間同士の役職たらい回しだから、これで日本のサッカーが劇的に変わることは、ありそうにない。でも新会長に何を期待すればいいのか、政権交代の意味は何なのかを、ちょっと考えてみよう。
☆岡野新会長への期待
日本サッカー協会の新会長になった岡野俊一郎さんとは、半世紀近い付き合いだ。大学生のときに同じ大学のサッカー部にいたからである。
上野駅前の「しにせ」のお菓子屋さんの後継ぎで、秀才で、男前で、名門の小石川高校の出身で、ぼくらの仲間ではサッカーが抜群にうまかった。かっこよかった。
学生選抜の一員としてヨーロッパ遠征してきた土産話を、ぼくらは夢を見ているような気持ちで聞いたものである。
大学を出てから、岡野さんは日本のスポーツ界のリーダーへの道を歩み、ぼくはそれを報道する立場のジャーナリストになった。岡野さんはサッカー協会だけでなく、日本体育協会や日本オリンピック委員会の役員になり、ぼくは新聞社で体協詰めのスポーツ記者だった。
というわけで、すぐれた先輩であり、古い友人である岡野さんが、日本のサッカーのトップに立ったのを個人的に喜んでいる。
岡野さんは長い間、日本オリンピック委員会の仕事をし、国際オリンピック委員会(IOC)の委員になった。国際派である。
外国語が話せる人に限るというつもりはないが、サッカーは世界のスポーツだから、一国の協会の会長がパーティーの席にまで通訳同伴というのは収まりが悪い。その点、新会長は安心である。
これからの日本サッカー協会の、最も重要な仕事は、日韓共催の2002年ワールドカップである。国際派の新会長には、外向きの顔として大いに活躍してほしいと思う。
☆森専務理事への期待
新会長のパートナーの専務理事には、Jリーグの専務理事だった森健兒さんがトレードされた。これは、なかなかの名人事だと思う。
森ケンさんはJリーグの創設に実質的な功労のあった人である。川淵チェアマンが派手にマスコミに登場するので、その陰に隠れているが、1980年代の後半に、Jリーグの前身の「日本サッカーリーグ」の改革を手掛けて、こつこつと着実に路線を敷いた功績は大きい。岡野新会長や川淵チェアマンのような外向きの派手さはないが、実行力はある。堅実だが前向きで、一筋のようでバランス感覚がある。
岡野新会長については、ぼくは長い付き合いの間に「考え方が保守的だ」というイメージを持っている。保守が悪いという意味ではない。しかし、Jリーグの川淵チェアマンのように既成のものを打ち壊してでも新しいものを強引に作るというタイプではない。だから新会長になったから、日本のサッカーが革命的に変わるというようなことは期待していない。盟友だった長沼会長から政権の座を「禅譲」されたのだから、なおさらである。
しかし、そうであっても、日本のサッカーを前向きに変えていく必要はある。劇的にではなくても、堅実に変えていく能力を新専務理事に期待したい。
日韓共催の2002年ワールドカップに向けて、岡野会長が外向きに国際的な顔として活躍し、森専務理事が内側で支えて、国内を固めるようになれば理想的である。
☆長沼前会長の功罪
先輩の政治記者が教えてくれた。
「辞任する総理については功を評価することを忘れちゃいけない。失敗があって辞めるわけだから批判はさんざん受けている。しかし功のほうも歴史に残さなくてはならない」
橋本龍太郎首相は、景気対策の失敗で参院選に敗れて辞任に追い込まれた。しかし財政構造改革など「6つの改革」に取り組もうとした志を忘れてはいけない、というようなものである。
これをサッカー協会の長沼健・前会長に当てはめるとどうか。
ぼくの考えでは、長沼ケンさんの功績は、会長だった4年間よりも、その前に専務理事として協会を取り仕切った間のほうが大きいと思う。
長沼体制は1976年から続いてきたというのが、ぼくのサッカー協会史観である。1976年に、それまで協会の実権を握っていた実力者の小野卓爾・専務理事が、ケンさんたちのクーデターによって追放された。それ以来、古河電工グループを中心とする企業チーム出身者の協会運営が20年以上、続いてきた。
その前の小野卓爾体制は、関東の大学リーグ中心の協会運営だった。これにも、いろいろ功はあったのだが、終わりごろには弊害も多くなっていた。それを覆して新しい改革を試みたのが長沼体制の功だったと、ぼくは見ている。
会長になってからは、批判されるべき材料のほうが多かった。任期満了で円満辞任という形にはなったけれど、限界が来たというのが本当のところだろうと思っている。
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