フランスのワールドカップは、競技内容と競技運営に関しては大きな成功だった。1970年メキシコ大会以来、8回のワールドカップを見てきたが、今回が最高の大会である。開催国フランスの初優勝は、その成功に花を添えた。20世紀の最後を飾るにふさわしい大会だった。
フランスはなぜ優勝できたか
ジダンを生かすジャケ監督の戦略のみごとな成功だった!
サンドゥニのスタジアムの大屋根で楕円形に区切られた青空を、真綿をちぎったような雲が2、3片、流れていた。7月12日午後9時。ワールドカップの決勝戦がはじまったとき、パリの空はまだ明るかった。
2時間後、日はとっぷり暮れて、ナイターの照明に浮かぶ緑の芝生で青のユニフォームが歓喜のダンスに跳びはね、黄色のユニフォームが放心して座り込んでいた。地球がちょっとまわった間に、二つの国の明暗が、くっきり分かれた。
明を作り出したもの――それはエメ・ジャケ監督の周到な戦略だったのではないか。シラク大統領から黄金のトロフィーがデシャン主将に渡されるのを見ながら、そう思った。
フランスはグループリーグから決勝までの7試合に、いろいろなプレーヤーを、いろいろな形で使った。それには、いろいろな理由がある。
ピシッとしたストライカーがいないので、取っかえ、引っかえして試してみたのも一つの理由である。
攻撃の基地のジダンがレッドカードで2試合出場停止になったので、その対策を講じたこともある。
グループリーグ第3戦は、決勝トーナメント進出がすでに決定していたので、主力を休養させたこともある。
しかし、いろいろな形を試みながらも、チームとしての狙いを、しっかりと持っていた。その狙いは「守備のチーム」といわれながらも「攻撃」のほうにあった。
フランスの戦法の一つの特徴は、タッチライン沿いに、それぞれ2人ずつの「ウイング・プレーヤー」を使ったことである。
守備ライン両翼のウイング・バックのほかに、中盤の両サイドもタッチライン沿いに大きく開いて攻撃的に動いていた。これに中盤の内側の他のプレーヤーがからみ、両サイドでそれぞれ「グループ速攻」を試みていた。
中盤の並べ方は試合によっていろいろ試みていたが、これは最終的には「ジダンを生かした攻め」を狙っていたものだろう。
ジダンが出場停止から復帰したあと「中盤の底」の部分に3人を並べ、中盤の前の方では、ジダンだけを動かす布陣をとった。「守備的すぎる」と批判もあったが、実はジダンが自由に動けるようにスペースを与える攻撃的な狙いがあったと思う。
試合を決めた決勝戦前半のジダンの2得点は、どちらもコーナーキックからのヘディングで、流れのなかでジダンの組み立てが実ったものではなかった。しかし、フランスの攻めの裏側には、こういう戦術的な流れがあって。それがチーム全体を成功させたのではないかと思う。
ブラジルはなぜ敗れたか
決勝戦に遅刻。重圧に耐えかねたロナウドの不調が響いた
ブラジルは、ロナウドにはじまり、ロナウドで終わった。
6月10日の開幕試合のとき「ひょっとしたらブラジルは、いけるぞ」と思ったのは、ロナウドの個人の能力が、あまりにも、すばらしかったからである。
この時のブラジルは、チームとしては、まだ未完成だった。だから開幕試合を見て「ブラジルの優勝は無理だな」という人もいた。しかし開幕の時点でチームとして未完成なのは、悲観的な材料ではない。いろいろなクラブでプレーしていた選手たちを寄せ集めたばかりだからである。決勝戦までの1カ月の間に個人の体調を整え、チームとしてのまとまりを作っていくのが、優勝候補の戦い方である。
しかし、優勝できるチームは、優勝の元手(資本)を持っている。それは才能あふれるプレーヤーである。その元手を1カ月の間に増やせるかどうかが勝負である。開幕試合でロナウドの才能を見て「これは大きな利息を生む元手かもしれない」と思ったわけである。
ブラジルは順調に勝ち進んだ。組み合わせにも恵まれた。決勝トーナメントに入ると「ブラジルの優勝だ」という声が強くなった。
だが実は、不安材料もいくつか見えてきていた。その一つがロナウドだった。
ロナウドの個人的能力は、すばらしい。快速、機敏、巧妙、強力である。シュートだけでなく、アシストでも才能のあるところを見せた。
けれども――。
開幕試合で見せた以上のものが、その後、あまり伸びてきていない。
若くて、チームの中で、いちばん力を持っている。だからロナウドの成長に賭け、ロナウドを押し立てて戦うのは当然の策なのだが、ロナウドは大きく化けてこないのである。
ブラジルの他の選手たちも、すばらしい才能の持ち主ばかりである。とくに中盤は宝石箱だ。ドゥンガ、セザール・サンパイオ、リバウド……。しかし、ロナウドには、こういう先輩のスターに押し立てられて、突き進むという迫力がない。
決勝戦の日。
ロナウドは、左足首のけがで病院に行き、キックオフ45分前に遅れて競技場に着いた。これが試合中に記者席に配られたプリントに載っていた公式の説明だった。
しかし、ロナウドは自分の肩にかかっている重荷に堪えきれずに落ち込んでいたという噂が、たちまち流れた。
ロナウドは精神的に弱かった。これがブラジルの大きな敗因である。
クロアチアはなぜ頑張ったか
独立を獲得した民族の誇りと意地が3位決定戦に表れた!
ワールドカップの運営に責任を持つ組織は二つある。一つは主催者のFIFA(国際サッカー連盟)で、もう一つは開催国の組織委員会、今回はフランスのCFOである。
3位決定戦の前の日に、パリの国際メディアセンターで、この両者の幹部の記者会見があった。まだ2試合残っているが、ここで大会を振り返る趣旨の総括記者会見である。大会前の総会で選ばれたFIFAのブラッター新会長とCFOのプラティニ会長が出席した。
「すばらしい成功だった」というのが、お二人の自画自賛である。
ぼくも、そう思う。1970年のメキシコ大会以来、これで8回連続のワールドカップ取材だが、今回は競技内容も運営も、もっとも良かった。85点以上をつけられると思う。
ただし「幽霊入場券事件を除いて考えれば」ということになる。記者会見では、この問題も追求されたが、ブラッター会長も、プラティニ会長も「司法当局が捜査中だから」と逃げ口上を述べただけだった。
このほかにフーリガンの問題もあった。100点満点をつけられないのは、このためだが、これは必ずしも組織委員会の責任ではない。ともあれ、ごく少数の無法者のために善良な大衆のお祭りの評判が傷つけられるのは、毎度のことながら困ったものである。
この記者会見の席上で「3位決定戦を廃止する考えはないか」という質問が出た。
3位決定戦は、たいてい抜け殻同然の内容も迫力もない試合になる。優勝をめざして死力を尽くして戦ってきたチームが、ゴール寸前で燃え尽きたあとだからである。いっそのことやめてしまったら、というわけである。
ブラッター会長は「検討する必要がある」と答えた。
ところが、翌日の3位決定戦は、迫力あふれる試合になった。クロアチア対オランダである。
理由はクロアチアのチームが、3位のメダルをぜひ取ろうと力を振り絞って戦ったからである。優勝候補のドイツを破って進出してきて、ここでオランダも破れば、ヨーロッパのトップクラスの評価が確定する。そういう気持ちも表れていたが、それよりも6年前にユーゴスラビアから独立した民族の誇りを、この世界の注目する大会のなかで示したいという意気に燃えていたように思う。
活発な攻め合いの末2対1でクロアチアの勝利。選手たちはメダル授与の壇上で跳びはねて喜んでいた。
こんなに見事な3位決定戦は、これまで見たことがない。
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