フランスヘ来た。ぼくにとっては1970年メキシコ大会以来、29年にわたり、8回連続、8度目のワールドカップである。今回は次の三つにポイントを絞って見て歩こうと思う。@初出場の日本代表が、どこまでやれるか、A2002年のためにフランス大会から何を学ぶか、そして、いつものとおり、B世界のサッカーは、どう変わるか、である。
気の利いた開幕ショウ
当日になって世界の祭りの雰囲気が一気に盛り上がった!
「ワールドカップだ!」
と思ったのは、開幕日の6月10日の朝になってからである。
シャンゼリゼの街角に、黄色のシャツとタータンチェックが行き交いはじめた。「そうだ、開幕戦はブラジルとスコットランドなんだ」
ようやく実感がわいてきた。
午後になると、サンドゥニの競技場の周辺は、すっかりワールドカップだった。
地下鉄のホームのなかでは、もう「聖者の行進」や「オー、マイ・ダーリング・クレメンタイン」のメロディーの替え歌が、こだましていた。
「ワールドカップは、フランスの大会じゃなくて世界の大会なんだ」と改めて思った。
世界の大衆が集まってきて、はじめてワールドカップらしさが出てくるわけだ。
前日までは「あまり雰囲気がないな。フランス人はシックだけど、さめているのかな」という街なかの感だったが、一夜にして変わったのである。
開会式のショウには、フランスらしい楽しさがあった。
午後4時半から30分足らずで、これは、これまでのワールドカップの開会式のショウにくらべて、いちばん気が利いていたと思う。
フィールドいっぱいに緑の野原が広がるというイメージのマスゲームのなかを、5人の足長おじさんが歩き回って、これは蜜蜂のコスチュームである。
突然、フィールドのなかから5つの花のつぼみが現れて大輪の花を咲かせる。
蜜蜂のお腹が割れて、たくさんのボールが空中に飛び出す。
スタンド上の屋根の端から32人のピエロが空中に吊り下がり、それぞれ大きな旗を空中に広げる。
ワールドカップの開幕には、オリンピックのような大げさなセレモニーはない。出場国の入場行進の代わりは、ピエロが空中に広げた32の国旗だった。
よかったのは、サプライジングが次つぎにあったこと、出演者がプロのサーカスの人たちで、ひとりひとりが個性的に演技しながら、全体としてひとつにまとまっていたこと、そして何より、前後を入れても30分足らずときわめて簡潔だったことである。さすがフランスという演出だった。
本物の開会式は、両チームの選手たちが出てきてから、15分足らず。ラ・マルセイエーズとアベランジェ会長のあいさつとシラク大統領の短い開会宣言だけである。これも簡潔でよかった。
ブラジルはすばらしいか?
ロナウドの個人技は見事だった。だが相変わらずの欠点も
開幕試合は、前回優勝のブラジルの登場である。
ブラジルは、いつの大会でも「すばらしい魅惑のチーム」だ。いつの大会でも「優勝するのが当然の実力のチーム」だ。だけど、優勝するのは難しい。「今回のブラジルも同じだな」と開幕試合を見て、また思った。
ブラジルの華麗な攻撃に、スコットランドは、きびしいマークの守りで対抗した、なかなか激しい試合だった。
はじまって5分たたないうちに、ブラジルが先取点をあげた。右コーナーキックで、ニアポスト付近に敵の守りが3人もいるなかに、セザール・サンパイオがヘディングで突っ込んだ。
ブラジルが最初から攻め続けていたので、これで楽勝かと思ったら38分にペナルティー・キックをとられて同点。どうも、おかしい。
ブラジルは、先取点をあげたあとも、20分過ぎくらいまでは、手をゆるめずに攻撃を続けていた。
世界最優秀のストライカーだと評判のロナウドのドリブルは、宮本武蔵が操っている二刀流のような切れ味だった。
密集のなかに切り込み、右足のアウトサイド、左足のインサイドと、ボールを魔法のように操り、一瞬のうちのボールをまたいで引くフェイントでかわしてシュートする。そんな場面が何度もあった。
左のサイドバックのロベルト・カルロスも攻守に見せ場を作った。
速いボールを足もとでぴたりと止め、その瞬間にはゴールのほうをむいている。
まったく、ブラジルはサッカーの天才の宝庫である。
しかし、リードすると、いいところを見せようと、チームプレーを忘れて、かっこうをつけはじめるのが欠点である。今回も、そういう「ゆるみ」が出始めていた。
後半28分にカフーのシュートが相手の自殺点を誘って勝ち越したが、この得点経過はちょっとさびしい。
開幕試合でブラジルは、魅惑の個人技と世界一の実力の一部をうかがわせてくれた。
一方で、いつものように南米気質の欠点も相変わらずのようだった。
優勝候補は、開幕第1戦ですべては見せない。これから、決勝戦へ向けてコンディションを作っていくところだから、調子も万全ではない。
それは承知しているが、今回のブラジルが欧州大陸の大会で優勝するかどうかは、疑問符である。
とはいえ、レベルの高い試合だった。やはりワールドカップである。
日本のサッカーとくらべると「おとなと子ども」の違いがある。
日本のアルゼンチンとの試合が、急に心配になってきた。
メディア文化の違い
カメラマンはフリーランスを優遇、日本の新聞社は怒った
大会が始まる前に、日本から来た報道陣の間で、ひと騒動があった。
大会に登録を認められた記者やカメラマンは、それぞれIDカードという記者証をもらっていて、それを胸にぶら下げていれば、メディアセンターには入れる。
しかし、試合を見るためには、IDカードだけでなく、それぞれの試合について、別にプレス・チケットをもらわなければならない。カメラマンの場合は、やはり試合ごとに登録して、フィールドに降りるためのビブ(胸当て)をもらうことになっている。
プレスの切符にも、フィールドに降りるビブにも、それぞれ数に制限がある。
各記者やカメラマンが、それぞれ、あらかじめ取材希望を出しておいて、定員をオーバーした場合は、大会組織委員会のプレスチーフが、決めることになっている。
その割り当ては、メディア・センターのコンピューターで見ることができる。
6月10日のサンドゥニの開幕試合の場合、記者のほうは全員が記者席の割り当てをもらうことができたが、カメラマンのほうは問題だった。
フィールドに降りることを認められたカメラマンは全部で203人。そのうち16人が日本からで、割合にしては多いのだが、新聞・通信社のカメラマンは、時事通信1人だけしか入っていなかった。あとは大部分がフリーランスと呼ばれる独立のカメラマンである。
日本では、新聞・通信社の力が大きいから、こういうケースになると新聞・通信社が優先されて、フリーランスは「どこのウマの骨か」という扱いになりやすい。
しかし、ヨーロッパでは新聞社の力は日本ほど大きくない。逆にフリーランスの力は結構、認められている。
これまでワールドカップに、日本の新聞・通信社は、あまり興味を示さなかった。
サッカーの専門誌か、専門誌に写真を売っているフリーランスが、もっぱら取材していた。
そういう実績を見れば、フリーランスを優遇したのも分かるのだが、日本国内での社会的影響力からいえば、新聞・通信社とフリーランスでは比較にならない。
サッカーの人気が上昇したので、今回わざわざ特派員を送り込んだ日本の新聞・通信社が怒るのも無理はない。
この問題は、もう少し裏があるようだが、それにしても日本と欧州のメディア文化の違いの一部を示している。
2002年のワールドカップのときには、日本と韓国の組織委員会が十分に考えなければならない問題である。
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