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サッカーマガジン 1998年3月11日号
ビバ!サッカー

冬季五輪とメディア

 長野の冬季オリンピックをテレビで見続けていて「テレビは恐い」と思った。冬のスポーツが、あんなに全国的な関心を集めたのは、まったくテレビのおかげだろう。それにテレビの取材の大胆不敵さにも驚いた。スポーツのメディアは、すっかり変わってしまった。

☆テレビが作る人気
 たしか、長野県のお偉方だったと思うが、1年ほど前に「スピードスケートは、ミズスマシみたいでおもしろくない」という趣旨の発言をして物議をかもしたことがあった。そのお偉方の立場からみて、不適切な発言だったとは思うが、正直すぎたんだと思う。個人的な感想であれば分からないでもない。
 400メートルの氷のうえを、くるくる、くるくる回るだけで変化が乏しい。2人ずつで滑ってタイムを争う方式だから、抜きつ、抜かれつに、はらはらするところもない。だから「おもしろくない」と思うのも無理からぬところである。
 ところがである。
 本番のオリンピックがはじまってみたら「スピードスケートはおもしろくない」なんてとんでもない。男子500メートルの清水宏保選手は、ブラウン管の大スターになった。
 初日の1回目は1位だった。このときすでに「金」への期待で大騒ぎである。兵庫県のわが加古川市は、冷蔵庫のなか以外で氷ができることはない土地で、冬のスポーツには縁がない。それでも、わが同僚たちが熱中していたのだから、たぶん日本中が大騒ぎだったのだろう。
 翌日のレースは全国民の注目の的だった。おもしろくないはずのスピードスケートを目をこらして観戦していた。
 2日目もトップで優勝したら、清水選手はもう英雄だった。お父さんや、お母さんのことまで、ことこまかに報道された。
 テレビがスピードスケートを、おもしろくしたのだと言っていい。

☆しつこすぎる取材
 テレビが人気を盛り上げてくれるのはいいのだが、その後、日本選手がフリースタイルのモーグルで金メダルをとり、スキーのジャンプに期待がふくらんでくると。テレビの過熱ぶりが気になってきた。
 スキーのジャンプは、ひとりの選手が2回飛ぶ。1回目を飛んで降りてきたところで、着地点の柵の外側にアナウンサーがいて、マイクを突き出してインタビューをしている。 
 原田雅彦選手は、1回目にうまく飛べなかったときでも「まだ2回目があります。期待してください」と笑顔で答えていた。
 心のなかでは、悔しがったり反省したりしていても、原田スマイルを画面に映さなければ、納まりがつかないムードである。 
 ぼくが新聞社のスポーツ記者だったときは、試合の前には、なるべく選手に接触しないようにしていた。気持ちの集中を妨げたくなかったからである。 
 スキーのジャンプの場合の1本目と2本目の間は、試合の前どころか試合の途中である。試合の最中にマイクを突き付けていいもんだろうか。選手は迷惑じゃないんだろうか、と心配になった。 
 新聞記者の場合は、試合が終わったあとに話を聞いても、原稿の締切時間に間に合えば、それでいいのだが、テレビの生中継の場合は、リアルタイムで生の音声を伝えたい。それで無理をするんだと思う。 
 スポーツのメディアが変わり、取材の方法も、モラルも変わってしまったのだろう。

☆2002年では?
 ここでまた、2002年のワールドカップが頭をよぎった。長野冬季オリンピックの次に日本で行なわれる大きなスポーツ・イベントは、サッカーのワールドカップである。
 ワールドカップのときには、テレビはもっと過熱する。ただし、1試合に直接関係する国は2カ国だけだから、いろいろな国の報道陣が入りまじる個人種目よりは、やりやすい点もある。
 米国のワールドカップのときは、その試合の出場国のテレビ局は、試合が終わるとすぐフィールドに入ってインタビューをしていた。それがプレスセンターのモニターテレビに映るので、他の国の記者も、それを聞くことはできた。ただし、ドイツのテレビ局であれば、ドイツ語でインタビューしているので、その国の言葉が分からないと、ちんぷんかんぷんである。
 その後に、国際的なインタビューがあり、それは英語に通訳されて、やはりモニターテレビでみることができる。また会見の内容は、文章になったものをパソコンの画面でみることもできる。
 そういうわけで、サッカーの場合には、これまでは、なんとかうまくやってきたように思うのだが、これからはどうだろうか。
 テレビは莫大な放映権料を払っているので、ますます、ずうずうしく取材しようとするだろう。選手たちの都合よりも、テレビの都合が優先されるようになるのではないか。 
 2002年のメディア対策をしっかり考える必要があると思う。


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