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サッカーマガジン 1998年1月28日号
ビバ!サッカー

アントラーズの天皇杯優勝

 天皇杯は鹿島アントラーズの優勝だった。準決勝ではブラジル・トリオがレベルの差を見せつけ、決勝戦では柳沢、増田と若手が活躍して、選手層の厚さ、外国人と日本人のコンビのよさなど、アントラーズの実力がJリーグのなかでも、ちょっと抜け出している印象だった。

☆柳沢台頭の天皇杯?
 元日に東京の国立競技場で鹿島アントラーズと横浜フリューゲルスの決勝戦を見て考えた。「ひょっとしたら、この大会は柳沢敦が台頭した天皇杯として歴史に残るんじゃないだろうか?」
 柳沢は20歳。富山一高を出て2年目である。高校生のときから「大物のストライカーになるぞ」と期待されていたが、Jリーグではフル出場の出番はそれほどはなかった。
 しかし、この天皇杯ではマジーニョと並んでトップを組み、完全にレギュラーである。97年度Jリーグ新人王の実力が天皇杯のほうで発揮された。
 決勝戦での柳沢は、それほど目立ってはいなかった。ハーフタイムに記者席で友人が「きょうは調子が悪いようだな」と言っていたし、本人も試合のあとで「きょうは出来が悪くて……」と話していた。終了まぎわの後半42分にヘディングで得点したのだが、すでに2対0とアントラーズがリードし大勢は決まっていたあとだったので、本人も「期待ほどには貢献できなかった」と思ったのだろう。
 しかし、ぼくは前半から柳沢の動きに感心していた。中央から左右への大きな走りがダイナミックだ。それによって中盤から前線にかけて増田とマジーニョが仕事をするスペースが生まれている。
 ドリブルも速いし、切り返しもうまい。大きな動き、ドリブル、パスとプレーを選択する判断もいい。
 「柳沢はこれからぐんぐん伸びるだろう。この天皇杯が、そのきっかけになるのではないか」と考えた。

☆決勝戦のMVPは増田!
 決勝戦でおおいに目立ったのは、増田忠俊である。この試合の最高殊勲選手を選ぶとすれば増田だろう。テクニック重視で有名な静岡学園高を出て6年目。24歳だ。
 第一に労働量が多い。中盤から前線にかけて、労を惜しまずボールを狙って動く。
 第二に動きが速い。ドリブルも切れ味が鋭い。
 第三にパスの判断がいい。頭のなかも鋭く回転して敵の急所を狙っている。
 第四にシュートもいい。ゴールを狙うことを忘れない。
 決勝戦の開始4分、アントラーズの1点目は増田だった。後方で増田の出したパスが起点となり、相馬−マジーニョとすばやく短いパスをつなぐ速攻で突破したところへ増田が走り込んで仕上げをした。
 流れを決めた25分の2点目にも増田がからんだ。左サイドから柳沢がドリブルで攻め上がり、そのセンタリングを増田が折り返してマジーニョが決めた。
 「日本代表に入れるべきだ。中盤の攻撃的なポジションをベテランの北沢豪と争わせたらおもしろい」とぼくは思った。もっと早くから注目されていていい素材ではないか?  
 「個性が強いというのかね。強情で生意気とみられたこともあって、能力の割りには認められるのが遅かったんだ」と、これは記者席の友人の解説である。
 柳沢にしろ、増田にしろ、フランス行きを狙って天皇杯で岡田監督にアピールを試みたのだろうか?

☆格上のブラジル・トリオ
 決勝戦では、増田と柳沢のほかに左サイドからの攻め上がりのカギになった相馬、守備ラインの要だった奥野など、日本人プレーヤーが活躍した。
 日本のチームで、こんなことを言うのはおかしいが、あえて「日本人が活躍した」と表現したのは、準決勝ではブラジル・トリオが目立っていたからである。
 準決勝は暮れの12月28日。神戸と東京で行われたが、ぼくは兵庫から上京して東京・国立競技場のアントラーズ対東京ガスを見た。Jリーグ外から挑戦してベスト4に進出した東京ガスを見ておきたかったからである。 
 結果は3対1。前半2点を奪われた東京ガスが、後半18分に1点を返したのは、なかなかの健闘だったが、試合内容からみるとレベルに格段の差があった。
 いちばん大きな違いは外国人選手である。 
 中盤のジョルジーニョとビスマルク、それに前線のマジーニョは、ブラジルでも一流中の一流だったプレーヤーである。厳しい試合のなかで、こすからく、巧みに守り、かつ攻めることを知っている。厳しい試合の経験が乏しい東京ガスは、いいようにやられていた。 
 決勝戦はJリーグ同士だから、フリューゲルスはトップクラスの外国人選手との対戦には慣れている。したがってブラジル・トリオ対策は考えたに違いない。ところが今度は、日本人選手が活躍した、というわけである。


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