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サッカーマガジン 1998年1月21日号
ビバ!サッカー

日本代表にサッカー大賞!

 例年より、いささか早く、ビバ!サッカーの選考する「日本サッカー大賞」を発表することにする。早めにする理由は、今回の被表彰者は、常識的すぎて、われながらビバらしくないからである。そういうときは、さっさと過去を片付けて未来へ目を向けたほうがいい。

☆歴史に残る業績!
 ジャジャーン、という鳴り物も、今回は、ちょっと控えめにしたい。どう考えても、平凡で、常識的で、独創性がないからである。
 それでも、ジャジャーン! ビバ!サッカーの1997年度日本サッカー大賞は、フランス・ワールドカップヘの出場権を得た日本代表チームに決定いたしまーす!
 ビバ!サッカーの表彰は、独断と偏見に、もとづいてはいるが、いかなる既成の権威にも影響されることなく、厳正公正をむねとしている。
 また、屋上屋を重ねるような表彰はしないのが原則で、特段の理由もなく、優勝チームに、さらに賞を出すようなことはしない方針である。
 優勝チームは、優勝によって、すでに顕彰されているので、それに加えて賞を出すのは、もともとのタイトルに対して非礼だからである。日本国の象徴である天皇のカップのうえに、放送局のカップを加えている天皇杯全日本選手権の表彰式を毎年、元日に、にがにがしく思っている。
 そういうわけで、ワールドカップのアジア予選で、曲がりなりにも出場権を得た日本代表チームを表彰の対象にしたくはない。出場権を得ただけで十分で、それにさらに賞を加えるのは、常識的で平凡なだけでなく、屋上屋を重ねることになるからである。
 しかし一方、この表彰が日本のサッカーの歴史を刻んでいることも、ビバ!サッカーの誇りである。
 そこで、日本のワールドカップ初出場をビバの表彰歴に刻むために、ちょっと原則を曲げることとした。

☆加茂周−岡田の功労!
 日本にとっては初めてのワールドカップ出場権獲得で、岡田武史監督は、にわかにスーパースターになった。心なしか最近は、歩き方さえ大物ふうである。
 岡田監督の功績にケチをつけるつもりはない。人生には運、不運があり、戦い半ばでの監督昇格でチャンスを得た岡田監督が、ラッキーだったことは確かだが、そのチャンスを生かしたのは岡田監督の力である。
 とはいえ、岡田監督は、前任者の加茂周監督が積み上げてきたものを利用して幸運を引き寄せた。そこんところにも気を配りたい。
 そういうわけで、ビバ!サッカーは、日本代表チームに大賞を授与するにあたり、岡田監督だけをヒーローにするつもりはない。チーム作りの大半を担当した加茂周監督にも拍手を送ることとする。
 12月15日に横浜アリーナで開かれたJリーグ・アウォーズの表彰式の席上で日本代表チームを川淵チェアマンが特別に表彰した。Jリーグが日本代表チームを顕彰するなんて僭越じゃないかと内心思ったが、これは一つのピーアールで目くじら立てるほどのことではない。マスコミ向けの宣材(宣伝材料)だから、弊害がないかぎり「それもいいじゃないか」と大目に見てもいい。
 しかし、この席上に、加茂周前監督の姿はなかった。勝負師の宿命といえば、それまでである。
 そこで、ビバ!サッカーでは、ここに加茂周監督の名も留め、その功罪は、歴史の慎重な審判に委ねることにしたい。

☆カズ、井原、中田に個人賞!
 さて恒例により個人賞も決める。殊勲賞は井原正巳選手、敢闘賞は三浦知良(カズ)選手、技能賞は中田英寿選手である。
 井原とカズを表彰する最大の理由は、2人の名前を表彰者リストに加えて、その名を歴史に留めるためである。
 ビバ!サッカーの表彰する日本サッカー大賞は、賞金も賞状もなく、ただ、その功績をサッカー・マガジン誌上に留めるだけである。しかしこれまでのリストを見てもらえば、この表彰が過去を公正に評価し、未来を的確に予測していることが分かるはずである。
 後世の人がビバ!サッカーの表彰リストを点検したとき、ここに井原とカズの名前が残されていないと歴史を見誤る。そこで、2人の名前を留めることにする。
 守りの中心としての井原のプレーには、いろいろな批判がある。その多くは井原のプレーがピンチを招いたときの印象がもとになっている。しかし井原が、的確な判断と果敢な出足でピンチを未然に防いだ場面を思い出すことも忘れないでほしい。
 カズは、ワールドカップ予選の最初の韓国戦で尾てい骨を痛めたが、それを隠して予選を戦いぬいた。その当時はマスコミに出なかったことだけに、ここで、その敢闘を記録しておきたい。
 中田の技能はよく知られている。これが本物かどうかは、これからの課題であるが、中田の才能が認知された1997年を記録するために、ここに技能賞を贈ることにする。


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