やった! ついに、やった! 日本代表チームがワールドカップの決勝大会に進出した。ぼくにとっては40年来の夢の実現である。9月7日のウズベキスタンとの乱戦にはじまって、11月16日のイランとの決戦でVゴールが決まるまで、10週間にわたるドラマにつぐドラマだった。
☆中田を生かす策!
新聞でも、雑誌でも、またテレビでも、さんざん論じ尽くされたことではあるが、イランとの試合の勝因になった岡田武史監督の用兵を、改めて取り上げたい。マレーシアのジョホールバルで行なわれたワールドカップ・アジア最終予選のプレーオフで、日本が劇的なVゴールで勝利した歴史的なできごとを、このビバ!サッカーにも記録しておきたいからである。
ショッキングな監督交代劇で、岡田コーチが監督に昇格したのは、10週間にわたる最終予選の4週目が終わったときだった。そのあと、リズムの狂っていたチームを立て直すために岡田監督がとった、いろいろな手段は、結局は中盤からの攻撃の起点である中田英寿をよみがえらせるための治療法だったと思う。
第一の治療法は、守備ラインを4人にすることだった。それまでのスイーパーシステムでは、本来の中盤プレーヤーは3人になる。4DFだと中盤プレーヤーに4人が使える。これは前号で解説したとおりである。中盤が4人になったので、中田への敵の守りのプレッシャーは、軽くなった。
第二の治療法は、ベテランの北沢豪の復帰だった。北沢は攻撃的で動きの量の多いプレーヤーである。そして何よりも、まわりの戦況をみて走ることを知っている。北沢が中盤のトップで前へ、左右へと走り出ることによってスペースができ、そのスペースを名波と中田が利用することができた。イランとの試合の中田の3アシストは、その結果である。
☆カズの交代は当然
イランは3トップできた。その前の2試合で活躍した日本の左サイドの相馬の攻め上がりを抑えるために1人を自陣の右サイドの前線に張り出させたのである。これは岡田用兵の思うツボだった。イランは前線が1人増えるので中盤が薄くなる。その分だけ中田へのマークも減るわけである。
前半39分に中田からのスルーパスによって、中山の先制ゴールが生まれた。
イランは後半1分に日本の守備の乱れをつき、後半13分にはダエイの高さを生かして逆転した。
ここで岡田監督は思い切った用兵をした。後半18分に最前線のカズと中山を同時にひっこめて、城とロペス(呂比須)を出したのである。
カズがフィールドから出るときに自分の胸を指さしながら「おれ、おれなの?」という表情をした。それがテレビで大写しになったものだから、多くの視聴者は、カズが意外な交代策を不満に思ったと受け取ったようだ。
しかし岡田監督は、あらかじめハーフタイムに「交代させるかもしれない」とカズに話してあったということである。カズが自分の胸をさして「おれなの?」という表情をしたのは、交代選手を表示するプラカードの11の数字が、よく見えなかったからだということだ。
カズは、それまでの試合でも後半になると動きが悪くなっていた。だから、この交代は当然、考えていいところであって、それほど意外な用兵ではない。
☆40年来の夢の実現だ!
交代策が的中して。後半30分に城がヘディングで同点ゴールを決めた。この城へ浮き球の正確なパスを出したのも中田だった。
延長に入ると、北沢に代えてスピードのある岡野を投入した。相手が疲労したところへ、走力のあるプレーヤーをぶつけてチャンスを作る。これも適切な策である。
延長後半13分、PK戦になる直前に岡野が劇的なVゴールを決めた。これも中田のアシストだった。中田のシュートをゴールキーパーがはじき、そこへ岡野が突っ込んだ。
これは日本のサッカーの歴史に大きく書き込むべき勝利である。
第一に、日本がはじめてワールドカップの決勝大会に出る。もちろん、これは歴史的である。
第二に、2002年の共同開催国である韓国と日本が、そろって出場権を得た。これは東アジアのサッカーにとって歴史的である。
第三にテレビ中継を通じて、日本中の非常に多くの人たちがサッカーに熱狂した。これも、これまでにないことだった。
ぼく個人にとっても歴史的である。大学を出て東京新聞に入社した1956年に新米記者でありながら、こんな生意気を書いたことがある。
「日本のスポーツが世界のトップになるには、オリンピックで陸上の十種競技に優勝し、テニスでデビスカップに優勝し、サッカーではワールドカップ決勝大会の出場権を得なければならない」
40年前の夢が、やっと実現したわけである。
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