日本代表がワールドカップのアジア1次予選を突破した。日本にとっては10月の最終予選でフランス行きの切符を手にしなくては話にならない。しかし、アジアの多くの国のなかには予選に出場することに意義があり、国際試合一つひとつが非常に貴重だというところもある。
☆サッカー地図の色分け
ワールドカップのアジア最終予選に出場する顔ぶれが決まって、アジアのサッカー地図の色分けがはっきりしてきた。
大ざっぱに分けると、日本、韓国、中国などの東北アジアが一つのグループである。
サウジアラビアなどのアラブ諸国にイランとイラクを加えた中近東諸国も一つのグループだ。
さらに旧ソ連邦のカザフスタンとウズベキスタンなどの西アジア諸国が加わった。
タイ、マレーシア、インドネシアなどの東南アジアは、国際大会の場では、あまり成績が良くない。しかし30年くらい前までは、アジアのサッカーの中心だったし、これから再上昇しそうな気配はある。
インド、パキスタン、バングラデシュなどの地域は、南アジアと称して、これも一つのグループを作っている。国際舞台での活躍は目立たないが、国内ではサッカーは、なかなか盛んである。
アジアのサッカー地図は、以上の五つのグループに色分けすることができる。地域的にも、社会の中でのスポーツの在り方についても、プレーのスタイルについても、それぞれのグループに共通点があり、特色がある。
話題の香港は、サッカーのスタイルとしては東南アジアに近いが、中国の一部なのだから東北アジアのグループだろう。サッカーも「一国二制度」で、英国の植民地から中国に復帰したけれども、別に代表チームを編成できることになっている。
☆ヒマラヤの国から
アジアのサッカー地図の色分けのなかに埋め込まれて、国際舞台にはめったに浮かび上がってこないところもある。小さな地域だったり、非常に貧しい国だったりするためである。
今回のワールドカップ予選で東京にやってきたネパールとマカオは、そういうチームだった。
ネパールには、新聞社に勤めていたときに、何度も出掛けたことがある。ヒマラヤ登山のプロジェクトを担当していて、登山隊編成の交渉に行ったのである。
面積としては、それほど小さい国ではないが、なにしろ大部分が山岳地帯で非常に貧しい。それでも首都のカトマンズには大きなサッカー場があり、サッカーは大衆の最大の娯楽である。陸軍と警察が人気チームだが、ライバル意識が強くて、試合のときに騒ぎを起こしたことがあり、両者の対戦は禁止されているということだった。1980年代後半のころの話である。
1988年の4月にネパール登山協会の役員といっしょに、ヒマラヤ山脈の峠を越えてネパール側からチベットにキャラバンをした。海抜三千メートルくらいの山のなかを、ふうふういいながら歩いていたら、ちょっと開けた谷間の河原で、子どもたちがサッカーをして遊んでいるのに出会った。ヒマラヤの山奥にも人が住んでいて、子どもたちがサッカーを楽しんでいるのにはびっくりした。
そんなヒマラヤの国のチームが、国際的な大会に出てきているのは、結構なことだと喜んでいる。
☆一つの試合を大切に
香港が英国の植民地だったようにマカオはポルトガルの植民地だったが、本来は中国の一部である。サッカーは盛んだが小さな半島の先の町だから強力な代表チームを編成するのは難しい。
そんなネパールとマカオがワールドカップ予選に出場して日本と同じグループで戦った。始まる前から、このグループは日本とオマーンの争いになることは明らかだった。
格下のネパールとマカオは、へたな試合をすると、日本とオマーンの得失点差に大きな影響を与えかねない難しい立場である。
マカオもネパールも格上の相手に精一杯の抵抗をして頑張った。結果的に日本対オマーンは1勝1引き分けだったが、仮に得失点差の争いになったとしても不明朗な印象は与えなかっただろう。
東京予選の最終日、日本とオマーンの試合の前のマカオとネパールの対戦は、大雨のなかで、なかなかの熱戦だった。ネパールは先取点を守り切ろうと懸命に守り、マカオは後半終了間際に逆転するとまるで優勝したような喜びようだった。
順位を争っても意味のない試合であっても、両チームとも、なんとか1勝をあげようと勝負にこだわって頑張っていた。
「スポーツは、こういうものなんだ。一つ一つの試合をすることが、本来の目的で、タイトルやワールドカップの出場権は、その結果にすぎないんだ」と改めて感心した。
東京予選の、これもひとつの成果だった。
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