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サッカーマガジン 1997年5月21日号

ビバ!サッカー

スポーツくじ法案提出

 「サッカーくじ法案」が国会で審議されている。この機会に改めて日本版トトカルチョの利害得失を考えてみよう。このくじの収益はスポーツ振興全体のために使われる。だからここでは「サッカーくじ法案」でなく「スポーツくじ法案」ということばを使っておきたい。

☆成立の見通し
 「スポーツくじ法案」が国会に提出された。Jリーグ発足前年の1992年に検討が始まっているのだから5年越しの懸案である。
 正式には「スポーツ振興投票法」という。スポーツ議員連盟が中心になり共産党を除く超党派の議員が4月24日に提出した。多くの法案は政府が提出し、与党が賛成し、野党が反対するという図式だが、議員立法の場合は与野党の議員の間で、おおかたの話し合いをつけてあるから提出にこぎつければ、ほとんど成立する。ただし、なんらかの事情で不成立になると再提出は非常に難しいという話もある。
 「スポーツくじ法案」については自民、新進両党の一部にまだ慎重論があり、社民党などでは党議拘束をはずすことになりそうである。民主党にも慎重論が根強いという。
 脳死法案の場合もそうだったが、これは論理よりも信念が先行するケースだ。「金銭は労働に対する報酬でなければならない」という哲学を信奉している人は賛成しない。これは一種の信仰である。しかし、そういう人たちも、高齢や病気で働けない人たちに援助することには賛成するし、預金に利息が付くことに反対はしない。ちょっと矛盾している。 
 それほどの信仰はなくても「害がある」と思い込んで反対する人もいる。現実の利益と弊害を比較考量しないで頭から反対する。これは感情論に近い。
 党議拘束をはずされた議員さんが感情論に左右されないで冷静に検討するよう願っている。

☆弊害と利点
 ヨーロッパや南米で盛んな「サッカーくじ」は、競馬や競輪にくらべて弊害が非常に少ない。
 100円程度のわずかな金額で投票して何億円もの金額が当たる。しかし実際には確率が何百万分の一と非常に低いので、人びとは夢を買うだけで実際に当たることを期待して投資するわけではない。したがって全財産を注ぎ込むようなことはしない。
 多くの人びとが誤解しているが、射倖性が高いほど弊害は少ないのである。射倖性が低くて、ときどき当たると、それが「甘い思い出」になって病み付きになり弊害が出る。
 サッカーを対象にすることの利点は、八百長や買収がきわめて困難なことである。多くの試合を対象にするので、一つの試合で八百長を仕組ませても意味がない。競馬や競輪で本命を買収するようなわけにはいかない。野球では投手を買収すれば勝敗への影響は大きいが、サッカーくじでは、多くの試合が対象だから1人や2人買収しても影響しない。 
 サッカーくじのもう一つの利点は競馬や競輪のように1カ所に群衆が集まらないことである。1カ所に集まると群衆心理に駆られて問題を起こしやすい。サッカーの試合は全国各地に分散して行なわれるので、くじを買ったファンが1カ所に集まることはない。
 収益を特定目的に使える利点もある。スポーツくじの場合はスポーツ振興である。スポーツが嫌いな人は、くじを買わなければいい。スポーツを応援したい人は寄付のつもりでくじを買えばいい。

☆収益の使途
 法案では売り上げの50パーセントを払い戻しにあて、17.5パーセントを国庫に入れ、17.5パーセントをスポーツ振興助成金にあてることになっている。経費は15パーセント以下である。スポーツ振興助成には年間に350億円くらいが回ってくると日本オリンピック委員会や日本体育協会では皮算用している。
 問題はその使い道だ。
 スポーツくじに反対する人たちは「スポーツ振興は国がやるべきだ」という。つまり税金を使えということである。
 たしかに、スポーツ振興には税金でやるのが適当なものもある。誰もが利用できるようなグラウンドや体育館の整備と運営はその例である。地域住民のほとんどが恩恵に浴するような設備や運営には税金を投入するのが妥当である。
 しかし、なんでもかんでも税金でというのも、また困りものである。そういうところにスポーツくじの収益の出番がある。
 たとえば、オリンピックの選手強化や派遣の費用は税金でないほうが筋が通る。オリンピックに出るほどの才能をもった人たちは、ごく少数である。そういう特定少数の人たちのために税金を使うのは不適当だと思う。
 一方で特別な能力をもったスポーツマンを自分たちの代表として応援したいと考える人はおおぜいいる。その人たちがくじを楽しみ、かつその益金で応援できるのであれば一石二鳥である。
 スポーツくじの収益は、そういうほうに使うべきである。


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