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サッカーマガジン 1997年3月26日号

ビバ!サッカー

ヴェルディはどう変わるか

 ヤマザキナビスコカップでシーズンがスタートした。爆発的なブームが3年で終わって、昨年、今年と沈静期に入っているが、こういう時期にこそチームの本当の姿が見えてくる。加藤久監督を迎えたヴェルディは、どんなチームになるだろうか。それがまず楽しみである。

☆気楽に!加藤久監督
 入学試験を受けに出掛ける友だちを、どう言って送り出すだろうか。
 「頑張れよ」というのが多いんじゃないか。
 米国人は、こういうとき「テクリージー」と笑顔で送り出す。「テイク・イット・イージー、気楽にな」というのが、ぼくの耳にはそう聞こえる。実力を発揮させるには、こっちの方がよさそうだ。 加藤久監督を迎えたヴェルディのスタートには「気楽にな」と声をかけたい。
 「Jリーグ選手名鑑」を見ると、監督のところはカタカナばかりである。漢字は加藤久とベルマーレの植木繁晴だけだ。数少ない国産監督におおいに頑張ってもらいたいところだが、頑張りすぎて持ち味を発揮できないようでは困る。
 シーズン入り直前に、テレビのお笑い番組にヴェルディの選手たちが楽しそうに出演しているのを見た。
 帝京高校のサッカー部で経験のある木梨ノリちゃんが入って、よみうりランドのグラウンドで、ドリブル競争をしたり、フットテニスをしたりして、大いに盛り上がっていた。10年以上前だったら「スポーツ選手がなんと不謹慎な」と非難を浴びたに違いない。プロ野球のジャイアンツだって、お堅い世間の袋叩きにあわないように、選手のテレビ出演などには相当に気を使っていたものだ。
 世の中は変わった。いまでは練習グラウンドで、どんなに気楽に楽しんでいても、競技場でびしっとしていれば文句はない。

☆ビスマルクの穴は
 前年のヴェルディで攻めの起点だったビスマルクがやめて、ライバルのアントラーズに入った。その穴を心配する人が多い。
 こういうときに間違いやすいのは100点の選手が抜けるとマイナス100点になると考えがちなことである。
 しかし、かりにビスマルクが100点の選手だったとしても、ヴェルディの戦力が100点減点されるわけではない。ビスマルクのあとに誰かが補充されるわけだから、マイナスは、ビスマルクと補充された選手の差ということになる。補充された選手の力量が80点だったとしても、マイナスは20点に過ぎない。
 それに、トップレベルの選手たちの技量には大きな差はない。スーパースターとふつうのスターでは、名声や給料では大差があるけれども、技量にはそれほどの差はないものである。
 プロ野球のジャイアンツが1970年代に黄金時代を築いていたころ、断然のスーパースターは現在の監督の長嶋茂雄と現ホークス監督の王貞治だった。ONの人気と実力はずば抜けていた。「ONが引退したあとジャイアンツは大丈夫だろうか」と多くのファンが心配した。
 しかし本当は、戦力の点では、それほどの心配はなかった。ONと差のない打力の選手を米大リーグから探してくることは、それほど難しくはなかった。
 ビスマルクの抜けた穴は、ONにくらべれば、はるかに小さい。人気の点でも戦力の点でも、彼はヴェルディの中心だったわけではない。

☆前園をどう使うか?
 ONがスーパースターだったころのジャイアンツのフロントの悩みは、外国人の強打者を取れないことだった。長嶋は三塁、王は1塁だったから外野に外国人を入れることは可能だったのだが、ONをしのぐ強打者がくるとチームの人気に響いてくる。これはプロとしての興行のためには好ましくない。そういうわけで、2人の外国人枠の中で、あえて外野手を避けて、二塁手や投手をとっていた。
 他のチームはクリーンアップに大リーガーを入れて強力打線を組むようになっていった。ジャイアンツはそれができない。そこでONを看板にしながらも、実は守りでチームを作っていた。それが巨人黄金時代の秘密だった。
 ONが引退したあとの問題点は、ONの打力のマイナスを補うことではなく、チームのカラーをどう変えるかだった。ONに代わって何を看板にするか、チーム作りの基本は守りのままでいいのかどうか、ということだった。
 ヴェルディの場合、ビスマルクのあとに前園が入ってきた。
 問題はビスマルクと前園の差は何点か、というところにはない。もともと技量に大きな差はないし、違いがあっても、それぞれに特徴があるので単純に差を計算できるものではない。
 ポイントは30歳のカズがスターであるところに24歳の前園が加わって、どういうチームカラーが生まれるかである。加藤新監督が、前園をどう使うかが最大の見どころになるだろうと思う。


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