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サッカーマガジン 1997年2月5日号

ビバ!サッカー

ヴェルディは変わったか

 ヴェルディが天皇杯をとり、そのあと予定どおり、レオン監督がクビになり、加藤久監督が誕生した。ごたごた続きで、リーグでは期待を裏切り「ヴェルディの時代は、とっくに終わったよ」と言う人もいたのに、突然、またまた変わったのか? 新体制は、うまくいくのか?

☆天皇杯優勝の秘密は?
 新聞にも、本誌にも、すでに取り上げられたことではあるが、ビバ!サッカーでも、改めて天皇杯を取り上げたい。せっかくヴェルディが優勝したのに、黙っていては気持ちが落ち着かない。
 ヴェルディが、なぜ突然変異を起こしたのか、については、いろいろ説があるようだ。新監督になって生まれ変わったのならともかく、クビ確定のレオン監督のもとで優勝したのが不思議である。
 いちばん明快だったのは、レオン監督自身の説明だった。元日の優勝直後に国立競技場の会議室で行なわれた記者会見で、こう話した。
 「優勝できたのは、私が新しい戦力をどんどん起用したからだ。これまでのヴェルディは、有名スターであれば、レギュラーの座を当然のように確保していた。しかし、私は過去の栄光に頼って有名なスタープレーヤーを無条件に起用するようなことはしなかった。若いプレーヤーでも能力で優るものを起用した」
 なるほど、たとえば柱谷を使わなかったことを言っているんだな、とこちらは理解した。それは監督の判断であり、権限である。 
 「たとえば、栗原は私の期待にこたえるいい仕事をした」 
 なぬ、なぬっ!
 お気に入りのマグロンが準々決勝で、御粗末を演じて出場停止になったために、やむなく栗原を起用したのではなかったのか。
 結果よければ、すべてよし。 
 レオン監督の我田引水も、ま、よしとしなければね。

☆レオン監督の立場
 レオン監督は、中盤の底で頑張った菅原と三浦泰についても話した。
 「この2人は、いまの日本で、もっとも優秀な守備的中盤プレーヤーである。日本代表チームの監督は、アジアカップのために選んだメンバーよりも、すぐれたプレーヤーがいるのではないかと目を開けて見るべきである」 
 ま、サッカー評論家としていうなら、レオン監督の意見に、ぼくも賛成である。でも現場で指揮する監督に対しては「だったら、最後の最後にではなく、もっと早くから結果を見せてくれよ」と言いたいところである。 
 「私は、数カ月前から親しい友人たちに、こう予言していた。元日の国立競技場で胴上げされたあと、クビになるよ、とね。きょう、胴上げされたあと、友人たちに言ったんだ、どうだ言った通りだろ、とね」 
 このレオン監督の最後っ屁(ぺ)は、おもしろかった。ヴェルディの内情を「ね、分かるだろ」と、事情を知っているはずの記者たちに訴えた言葉だからである。 
 素直な日本語に翻訳すると「私の方針は正しかったのだが、フロントは理解しなかったんだ」ということである。 
 さらに解説を加えると「選手たちは胴上げしたが、これは義理と形式でやったので、監督と選手との関係も、うまくいっていなかったんだ」ということになる。 
 本当のところは、どうだったのか。 
 監督、選手、フロントの心の中に、これ以上は立ち入れない。

☆加藤久監督への期待は?
 レオン監督は、ご本人の予定どおりクビになり、加藤久監督が誕生した。もともと「国産監督」のホープとして期待されていた人材である。すぐれた人材がチャンスを得たことを喜んでいる。久ちゃんは、もともと若いときからの友人だから、なおさらである。
 ただし、私情によって未来をバラ色に染め上げるようなことを、するつもりはない。紙のうえでバラ色に染めても、実際に美しいバラが咲くほど世の中は甘くない。
 また、ぼくは昔の有名なジャーナリストの次の言葉を守ることにしている。 
 「総理になったばかりの政治家を批判しない。なぜなら彼は、これから仕事をするのだから」
 というわけで、就任したばかりの新監督の未来を軽率に占ったりすることは、慎みたい。虚心坦懐に仕事ぶりを見守りたいと思う。
 そういうような、本来のぼくの主義主張には反するのだが、心安立てに、ちょっと忠告めいたことを一つだけ書き加えておくことにする。 
 加藤久は、ヴェルディ生え抜きの人材である。そのことを自覚し、誇りを持ってもらいたい。何も恐れることはない。 
 ヴェルディには、旧読売クラブで小学生のときからボールを蹴っていた人たちがいた。しかし、レオン前監督が言ったように、過去の栄光は過去のものだ。 
 加藤新監督は、大学を出てから来たけれども、読売クラブの生え抜きであり、ヴェルディの生え抜きなのである。


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