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サッカーマガジン 1996年12月18日号

ビバ!サッカー

トヨタカップに思うこと

 ことしのトヨタカップはテレビ観戦だった。関西の地方都市で勤めを持つ身としては、火曜日にナイターでやられては、東京まで見に行くのは容易でない。しかし、テレビで見ても迫力十分の試合だった。こんな試合を、地元で働いていても見られるのだからテレビ時代も悪くない。

☆本物の映像を求めて
 トヨタカップは今回で17回目である。よく続いたものだと思う。ぼくは、トヨタカップがスタートしたときから縁があったから、このイベントには特別な愛着がある。
 20年近くむかしの話だが、日本テレビの友人が、築地の料亭で、ぼくを電通の人に引き合わせてくれたことがある。
 そのときに、こんな話が出た。「いろいろスポーツのイベントをやっているんだけれど、どうも、いま一つでね。世界の一流選手だといって日本へ連れてくるんだが、テレビで見る外国のイベントの映像と違うんだよな」
 外国からくるテレビの映像は、テニスのウィンブルドンやゴルフの全米オープンである。あるいはサッカーのワールドカップである。
 そういう大会の映像にくらべて、日本に外国の選手を連れてきて開催するイベントの映像は、見た目には同じようなんだけれど、なんとなく迫力がないというわけである。
 なるほど、とぼくは思った。
 ウィンブルドンやワールドカップは、世界最高の権威を誇るタイトルマッチである。
 当時、日本で盛んになっていた国際イベントは、そういう大会に出ている人気スターを、大枚のギャラで連れてきて開催するエキジビションである。
 同じプレーヤーが、同じプレーをするのだから、同じ映像が得られるはずだと思うのだが、どういうわけか、そうはいかない。テレビの小さな画面で見ても違いが分かる。

☆テレビで世界へ!
 エキジビションにはエキジビションの面白さがあると思うけど、そりゃ迫力では、世界のタイトルをかけた試合には及ばない。
 エキジビションは、花形プレーヤーの良さを見せて、お客さんに楽しんでもらうのが目的である。だから、のびのびと、いいプレーをするが、勝負にかける執念はない。高額の賞金をかけて真剣に争うことにしても、裏ではギャラとして分け合うなんてこともある。 タイトルマッチは、勝つことが目的である。互いに相手の良さを殺しあって争うから、その選手の得意なプレーを楽しめないこともある。しかし、それでも、真剣勝負の厳しさが、ひしひしと観客や視聴者に伝わってくる。電通とテレビの人たちは、そういう厳しい迫力のある映像を求めていた。
 「テレビ・イベントでも、タイトルマッチとエキジビションは違うんだ」と、ぼくは思った。
 そこで、ぼくが、こういう提案をした。
 「プロのサッカーの欧州チャンピオンと南米チャンピオンが、実力世界一をかけて争う試合がある。世界クラブ選手権と呼ばれている。この試合を日本でやって、世界へ向けてテレビ放映をしたらどうか」
 ちょうどそのころ、この試合は観客の騒ぎなどの問題で開催困難になっていた。
 だから、この試合をお客さんのマナーのいい日本で開いて、欧州や南米のファンにはテレビで見てもらおうというアイディアである。

☆テレビ中継の恩恵
 このアイディアが、トヨタカップとして実るまでには、その後、ひと波乱も、ふた波乱もあって、その裏話も、なかなか思い出深いけれど、ずっと前に書いたこともあるので、ここでは繰り返さない。
 要するに、タイトルをかけた試合の迫力をテレビで世界に伝えようというアイディアが、トヨタカップのはじまりだったわけである。
 あれ以来、十有余年。
 トヨタカップは、ほとんど国立競技場の記者席で見てきた。
 もともとテレビのためのイベントとして日本開催が企画されたのだけれども、ぼく自身は、テレビを通じてではなく、スタジアムでナマで見ていた。
 ところが、長年勤めた新聞社を4年前にやめて、兵庫県加古川市にある大学に勤める身となった。「先生は気楽な稼業」だろうと思っていたのだが、これが意外に忙しい。
 加えて、これまで12月の第2日曜に決まっていたトヨタカップが11月最終週の水曜日になった。今年は火曜日だったが、年末を控えて、いちばん仕事が立て込む時期のウイークデーである。
 そういうわけで、今回のトヨタカップは、テレビ観戦の仕儀にたちいたったのだが、考えてみれば、もともとテレビ・イベントとして企画したものだから、ぼく自身が、その恩恵に浴したわけである。 
 ユベントスとリバープレートの試合は、テレビで見てもタイトルマッチらしい迫力にあふれていた。
 自分自身の先見の明を誇りたい気持ちである。


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