日韓共催のワールドカップの日本側の会場候補地が、12月25日に決まることになった。開催準備を前に進めるために、いちばん最初に乗り越えなければならないハードルだったから、年内に決着をつけて新しい気持ちで新年を迎えるのはいい。すっきりした決定を待ちたい。
☆10会場はまあ、適当
ワールドカップが日韓共催に決まったとき「もっとも重要な国内問題は15の会場候補自治体をどうするかだ」と、ぼくは書いた。日本側としては、この問題をクリアしなければ前に進めないことは明らかだった。サッカーは地域に根を下ろしたスポーツであり、地域の協力なくしてはワールドカップは開けない。だから会場都市が決まらないうちは、準備はスタートしないはずである。
FIFA(国際サッカー連盟)に対して、日本がワールドカップ開催希望の名乗りを上げたとき、会場候補都市として15の自治体があがっていた。日本サッカー協会を中心とする招致委員会は「12以内」にするつもりだったのだが、立候補した自治体が15あり、それぞれ政治家まで動員して運動したから、サッカー協会の力では「絞りきれなかった」ためである。
もともと、日本での単独開催であっても15会場は多すぎる。いいところ8から12である。それが日韓共同開催になるのだから、会場都市も半分でいいはずである。15自治体から、いくつか削ることになりそうなのは明らかだった。
結局、FIFAの考えもあって、10会場に絞ることになったが、これはまあ、妥当な数字だと思う。
韓国がいくつの会場を用意するのかは知らないが、今後、どういう情勢の変化が起きるにしても10都市で準備していれば対応可能である。
韓国が6都市用意して計16都市でもやれるだろうし、かりに単独開催であっても、まかなえる数である。
☆選定基準は妥当か?
とはいえ、15自治体の中から5つを削るのは難しい。11月29日に東京で開かれた「開催候補自治体知事・市長会議」では、この難しい作業は日本サッカー協会が行なうことが、まず確認され、12月25日の協会理事会で正式決定することになった。これも当然のことだろう。
この知事・市長会議の席上で「開催地選定基準」が示された。「スタジアム等インフラの整備」「ホスピタリティを実現するための諸施設、諸環境」「交通網の整備」など、もっともらしい項目が並んでいる。
しかし――。
もともと、こういう基準は、2年前に15都市を認めたときに、すでに検討したはずのものである。開催能力を明らかに欠いている都市があれば当然、あのときに外していたはずである。したがって15自治体は、みな基準を満たしているとしなければおかしい。
また基準自体が、かなり抽象的で、どのようにでも解釈できる面をもっている。
たとえば広島は、2年前に新しいスタジアムでアジア競技大会を開催している。「スタジアムはできているし、運営実績もある」と主張したいところである。
しかし、広島のスタジアムは、40年も前に設計された東京の国立競技場をモデルにした旧式のものであり、山の中腹にあって広島市内からの交通はきわめて不便だった。
こういうふうに見ると、基準に合っているともいえるし、合っていないともいえそうである。
☆地方分権の理念で!
一方で、日本サッカー協会の長沼健会長は「できるだけ広く、地域バランスを配慮し、日本全国でワールドカップを開催することで、スポーツ振興や国際化の推進などのワールドカップ開催による効果を日本全国に広めることを考えたい」と話している。「八方美人の長沼節」ともとれる。しかし、この「地方分権」は、もともとワールドカップにふさわしい理念である。
オリンピックは、一つの都市で開くのが建前である。夏の大会では30ものスポーツの競技会を一つの都市の中で2週間のうちに開催する。だから、大会期間中、町は大混乱であり、お祭り騒ぎのあとには、巨大な陸上競技場や水泳プールが残るだけである。
陸上競技場や水泳プールの観客席が活用されることは、ほとんどなく巨大な廃墟になる。大スタジアムが活用されるのは、プロのサッカー(米国ではアメリカン・フットボール)のためである。
これに対して、サッカーのワールドカップは、国内のいろいろな都市で試合をする。各地にスポーツのクラブがあり、プロのサッカーチームがある。スタジアムは、地域のクラブのプロチームが、ふだんから使っているものであり、一時的なお祭りのためのものではない。ワールドカップは、地方都市の日常的なスポーツ活動にしっかり結びついている。
日本でのワールドカップも、そのようであって欲しい。全国各地に芽生えている地域のスポーツ、地域のサッカーを伸ばし、育てるように地方分権で会場を配置して欲しい。
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