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サッカーマガジン 1996年9月18日号

ビバ!サッカー

フランスW杯へのスタート

 加茂周監督の日本代表が1998年のフランス・ワールドカップヘのスタートを切った。8月25日に大阪長居競技場で行なわれたウルグアイとの試合は、その第一歩だった。5対3の勝ちという結果は重要ではない。伸びていく芽がふくらみかけているかどうかがポイントだった。

☆加茂周監督の助走
 加茂監督が日本代表チームを引き受けてから1年半以上になる。8月25日のウルグアイとの試合までに23試合を行なっている。この加茂日本代表の目標は、最初からフランス・ワールドカップだった。
 したがって、今ごろになって「フランスヘのスタート」というのは、ずれていると思われるかもしれないが、これまでの23試合は、加茂監督にとっては、ま、助走だったと、ぼくは解釈している。
 どういう意味で「助走」だったのかを簡単に説明しておこう。
 まず、代表チームの監督とは、どういうものかを加茂監督が体験する期間だった。加茂監督は、クラブチームの監督としては、日産(マリノス)で立派な仕事をしてきているが、代表チームを引き受けたのは、初めてである。いろいろなクラブからやってくるプレーヤーを扱うのは、新しい体験だったに違いない。
 第二に、協会との関係をしっかりしたものにする期間だった。オランダ人のオフト監督、ブラジル人のファルカン監督と外国人が続いたあとに、最初は「テスト」か「つなぎ」のような形で日本代表を預けられた。この理不尽をあしらいながら、自分の立場を固めていかなければならなかった。これは、あまり面白くない経験だっただろうと思う。
 第三には選手を、少しずつ入れ替えていく期間だった。ラモスを軸にしたオフト監督の影響が、強く残っていたから、そのいい面を傷つけないようにしながら、新しい顔触れに切り替えていく必要があった。

☆ウルグアイ戦の評価
 そういう助走期間の最後にアトランタ・オリンピックがあった。
 日本のスポーツ界では、オリンピックは、ことのほか重要に扱われる。だから「オリンピックよりワールドカップだ」というサッカーの論理は日本では通用しない。しかもオリンピック・チームの監督は西野朗氏で、加茂監督とは、かなりバック・グラウンドが違う。 
 そういうわけで、加茂監督は本格的なワールドカップ予選への準備を、アトランタ・オリンピックが終わるまで待たなければならなかった。
 幸いにして、アトランタ・オリンピックでの若い日本代表のプレーぶりは悪くなかった。前園がチームを引っ張り、ゴールキーパーの川口がヒーローになった。
 オリンピックが終わり、若手を本格的に加えてワールドカップ用のチーム作りをする。そのスタートが8月25日のウルグアイ戦だったわけである。
 試合ぶりはどうだったか。
 ぼくの見たところ、スタートとしては、なかなかよかった。
 すばやくパスをつないで、外側からの攻め上がりを使うという狙いに徹底して、1対1のあと26分の勝ち越し点が、この攻めで絵に書いたように成功した。左サイドで相馬−前園−相馬とダイレクト・パスがつながり、カズがヘディングで決めた。
 「いつも、あんなにうまくいくもんじゃない」と試合後に、加茂監督は言っていたが、この試合は、いわば練習なのだから、うまくいったのは収穫である。

☆ストライカーのテストも
 速攻で外側からえぐって攻めて、そのセンタリングがエースにぴしゃりと合うなんてことは、タイトルをかけた試合では、簡単には成功しない。敵は十分にこちらを研究したうえで、厳しく守ってくるからである。
 そういうときは、中央突破や逆サイドへのサイドチェンジなど、いろいろな攻めを使い分けなければならない。
 しかし、今回はスタートの親善試合だから、まず一つ基本的な攻めを徹底的に試してみたのではないかと思う。その点で成功だった。
 サイドからのすばやい攻めが、直接ゴールに結びつかなくても、それが敵のゴール前に混乱を起こし、さらにチャンスを作ることは十分に期待できる。
 そのチャンスを生かすために必要なのは、強力で機敏でカンのいいストライカーである。 
 ウルグアイとの試合で、最前線には、カズのほかに、まず長身の高木を使い、後半から黒崎に代え、さらに後半23分にカズを下げて岡野を入れた。これも「いろいろ試しているな」という印象だった。
 そういうわけで加茂監督の再スタートとしては、有意義な試合だったと思う。 
 ただし「世界の名門」からの勝ち星として結果を過大評価することはできない。   
 相手は本物の「ウルグアイ代表」ではなかった。ウルグアイのトップクラスは、ほとんど欧州に行っている。今回のメンバーは、残っている若手の選抜だった。看板に偽りありである。


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