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サッカーマガジン 1996年8月28日号

ビバ!サッカー

おお! ナイジェリア

 アトランタ・オリンピックの優勝はナイジェリアだった。これはアフリカのサッカーが、完全に世界に肩を並べたことを示すものだと思う。日本はブラジルに勝っただけで「金星」といわれ、西野朗監督の手腕が評価されたが、それで満足していいのだろうか?

☆世界が変わった
 「世界が変わったんだ」
 アトランタ・オリンピックでナイジェリアが金メダルを取ったのを見てそう思った。
 準決勝ではブラジルを、決勝ではアルゼンチンを破っての優勝だ。南米のサッカー大国をアフリカのチームが連破するなんて10年前に想像できただろうか。これは番狂わせではなくて、世界のサッカー地図が変わったことを示すものである。
 これは若手の代表によるオリンピックで、最強メンバーによるワールドカップではない。だから「アフリカが世界のトップになった」というのは、まだ早い。しかし、すでにワールドカップでも目覚ましい活躍をしはじめているのだから、その優勝を争うのは時間の問題である。
 テレビ中継で見ていて、試合ぶりは、ナイジェリアの方が南米のサッカー王国のチームよりも、ずっと良かった。足技では優るとも劣らないし、守りでは敵のパスのコースをすばやく読んで、鋭い出足で巧みにボールを奪い取る。南米以上に南米的で頭脳的である。 さらによかったのは、逆サイドに大きくサイドチェンジのパスを振る攻めである。フィールド全体をよく見ていて、長いパスをタイミングよく正確に通す。ヨーロッパ以上にヨーロッパ的で力強い。
 南米の良さとヨーロッパの良さを兼ね備えたサッカーが、ついにアフリカから現れたと思った。選手たちの資質とオランダ人のジョー・ボンフレーレ・コーチの指導が、ぴったり溶け合ったのではないか。

☆アフリカの自信
 ナイジェリアは、最初から金メダルを目標にアトランタに来ていた。彼ら自身は「実力では優勝が当然」と考えていた。
 英語で発行されている「アフリカン・サッカー」という雑誌がある。その「オリンピック直前号」の表紙には「アフリカは金を夢見る」と大きく印刷してあった。
 「夢見る(ドリームズ)」というのは「空想している」という意味ではない。「狙っている」という意味である。
 日本は予選リーグでブラジルに1勝しただけで「大金星」「世紀の番狂わせ」と持ち上げられた。結局は決勝トーナメントに出られなかったのに、西野監督は「よくやった」と評価されている。日本のマスコミは甘すぎると思う。はじめから優勝をめざしていたナイジェリアと、それを見通していた向こうの雑誌に比べると、日本のサッカーもマスコミもまだまだである。 
 「アフリカン・サッカー」誌の記事では「予選リーグで最大の強敵はブラジルだ」とみており「ブラジルのザガロ監督はアフリカ勢をもっとも警戒している」と書いている。しかし「ナイジェリア・チームの才能、技術、経験は疑いもなく優れている」と自信満々である。
 日本については「最近サッカー熱が高まってきて、技術も向上して魅力的なサッカーをするが、ナイジェリアを脅かすほど難しい相手ではない」と軽く見ている。
 結果は、この雑誌の予想どおりだった。

☆日本は恵まれていた!?
 「アフリカン・サッカー」誌の記事は、ナイジェリアの弱点についても、興味深いことを書いている。
 ナイジェリアの弱点は攻めでも、守りでも、テクニックでも、体力でもない。
 問題は、この国のサッカー協会の組織の不十分さであり、お金がないことであり、そのためにオリンピックの準備が十分にできなかったことである。それでも「金」をとったのだから、アフリカのサッカーの将来は、おそろしい。
 準備体制の点では日本は断然、恵まれている。日本サッカー協会は、他のスポーツ団体に比べても、しっかりしている方である。
 Jリーグができて、選手たちはプロになり、金銭的にも豊かである。
 オリンピック準備の合宿や練習試合のためには、できるかぎりの便宜を図った。国内試合の日程のために合宿の予定が思うに任せなかったことが、監督の立場からみればあったかもしれないが、日本ほどクラブが協会に協力的な国は世界には、ほとんどない。日本は「オリンピック」といえば、スポーツ界の「泣く子も黙る」国である。
 こういう条件に恵まれながら、日本は決勝トーナメントに出られなかった。ブラジルとハンガリーに勝ったのは、すばらしいとは思うが、しょせんは善戦である。
 ナイジェリアのように「金」を狙うのは無理にしても、決勝トーナメント進出は目標だったはずである。
 目標を果たせなかったのだから、ぼくは西野監督の努力は認めるけれども、業績は評価できないでいる。 


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