FIFA(国際サッカー連盟)が2002年ワールドカップ開催の条件を検討する委員会を開いた。いよいよ日韓共同開催のスタートである。政治的にはセンセーショナルに話題を振りまいた共催だが、経済的には、これから解決していかなければならない具体的な問題を抱えている。
☆W杯の政治学!
「知事さんや市長さんを怒らせるんだから、サッカーもたいしたもんだよ」と友人が皮肉混じりに言う。
日韓共同開催になった2002年ワールドカップについて会場予定地の15自治体の知事、市長を集めた会議が6月21日に東京で開かれた。
「怒りの15自治体、爆弾要求」とスポーツ新聞の大見出しになっている。多くの自治体の知事さん、市長さんが自ら出席したという。日本のサッカーの地位もあがったものだ、というわけである。
国内だけの話ではない。済州島で開かれた日本の橋本首相と韓国の金泳三大統領との首脳会談でもワールドカップが大きなテーマだった。
「ワールドカップを契機に未来志向で両国関係を発展させることで合意した」という。サッカーが東アジアの平和と安定に役立つのなら、結構なことだ。
というわけで、国内と国際の政治的重要問題として日韓共同開催は、はなばなしく取り上げられた。
もともとサッカーは、世界のスポーツであり、大衆のスポーツであり、政治を動かすスポーツである。欧州でも南米でも偉い政治家がサッカーのために右往左往している。
ぼくは30年にわたって、その話を念仏を唱えるように繰り返して書き続けてきたが、なかなか理解してもらえなかった。
それが突然!
毎日のようにサッカーが政治を勣かす話が新聞の1面に載るのだから、ぼくの積年の努力が報われたというべきなのだろうか?
☆分離分割は可能か?
さて、ワールドカップの政治学に続く問題は、ワールドカップの経済学である。政治的影響力の大きさを念頭に置きながら、日韓共同開催の経済的な準備に入らなければならない。
先週号に書いたように、開会式と決勝戦をどちらでやるかなどは、たいした問題ではない。共催準備の具体的な問題で重要なのは「お金」である。
日韓共催が決まったときに「分離分割方式」の提案が出ていたが、これはワールドカップの経済の問題だとぼくは考えている。
「分離分割方式」とは、国立大学の入学試験の方式の呼び方をもじって、ぼくが勝手に名付けたものだが、要するに日本と韓国が、事実上べつべつに準決勝までの運営を行なうという意味である。
かりに32チームを16チームずつ二つに分割して日本と韓国に分離するとする。16チームのなかから1チームを選ぶ大会を日本と韓国とべつべつにやると考えるといい。最後の決勝戦をどうするかは別の問題とするが、16チームずつによる準決勝までの試合は二つの別の大会として運営するわけである。
日本と韓国では経済事情が違う。
おそらく韓国では物価が日本より安く経費は少なくてすむだろう。一方、入場券の金額は日本の方が高くなるだろう。
このように条件が違うところで、収入や経費をプールして運営するのは難しい。
2グループが、それぞれ独立採算で運営した方が合理的に見える。
☆W杯の経済学
このような分離分割方式は、日本と韓国の経済が、それぞれ独立して動いていると考えれば可能である。これは、国境をはっきり守ろうという経済ナショナリズムである。
ところが世界は、国境の垣根がだんだん低くなる方向へ動いている。ボーダーレスの時代へと向かっている。そう考えると、経済ナショナリズ厶の分離分割方式は、そう簡単でないかもしれない。日本のワールドカップ経済が国境を超えて韓国に影響を与えるに違いないし、その逆もあるだろうからである。
そもそも、日韓共同開催は両国の間の垣根を低くすることに意義があるとされている。そうであれば、分離分割の運営は、共催の趣旨に合わないことになる。
経済的な面での具体的な大きな問題の一つは、広告スポンサーである。
今までのワールドカップでは、FIFA(国際サッカー連盟)と契約した一つの広告代理企業がスポンサーを集めていた。原則として1業1種で自動車メーカーは一つだけ、かみそりメーカーは一つだけ、というようになっていた。
日本と韓国が独立に運営することになると広告スポンサーも、それぞれ分離分割で集めることになるのだろうか? 韓国のワールドカップでは現代自動車が広告を出し、日本ではトヨタか日産が広告を出すことになるのだろうか?
これはテレビ放映とも絡んで、たいへんな問題である。FIFAの共催検討委員会の第一の課題じゃないかと思う。
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