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サッカーマガジン 1996年7月10日号

ビバ!サッカー

日韓共催の小さな問題

 2002年ワールドカップの日韓共催のために解決しなければならない問題が大小いくつもある。すぐ思いつくのは、開会式と決勝戦をどちらでやるかである。これは比較的小さな問題だと思うのだが、一般の関心が高いようなので、まずこの二つの問題から…。

☆開会式は両国で?
 「いちばん大きな問題は、開会式と決勝戦だろうな」と友人が言う。2002年ワールドカップの日韓共同開催の話である。
 ぼくに言わせれば、大きな問題は東アジアと日本国内の政治や経済にかかわることであって、開会式や決勝戦をどちらでやるかなどは、小さな問題である。
 小さな問題といっても、サッカーの世界のなかでは、大切な話ではある。しかし話し合いで仲良く解決することができるだろうと思う。
 開会式についていえば、サッカーのワールドカップの開会式は、オリンピックの開会式とは、性質の違うものである。
 オリンピックの開会式は、建前としては全参加国の選手団が参加して「堂々の行進」をする。
 ワールドカップの開会式には、選手たちは出ない。チームは各地の会場都市に行ってしまっている。代わりに子どもたちが、それぞれの国のユニホームを来て行進したりする。全体としては、はなやかで楽しい大衆のショウである。
 したがって、たとえば日本の横浜と韓国のソウルで、同時に開会式をやるのは別に難しいことではない。その国の元首が出席する慣例で、これは横浜では天皇陛下を、ソウルでは大統領をお迎えすればいい。
 FIFA(国際サッカー連盟)の首脳の場合は、一方が会長、他方が副会長ということになる。これは、ちょっと頭をひねる必要がある。友人は吐き捨てるように言った。
 「アベランジェとヨハンソン? どちらの顔も見たくはないね」

☆決勝戦は映像でも
 開会式では、ショウのあとに開幕試合がある。これがワールドカップのキックオフである。開幕試合も、たとえば横浜とソウルで同時に2試合を行なうことになる。
 これは、技術的にはいささかの問題がある。
 というのは、開幕試合のレフェリーの笛が、その後のワールドカップの試合の基準になるからである。2試合の主審の判定ぶりに違いがあるようでは困る。しかし、本来、大きな違いがあるはずのないものだし、審判委員会が十分な打ち合せと訓練をしておけば、大きな問題にはならないだろうと思う。
 決勝戦の方は「両方で同時に」というわけにはいかない。
 「ホーム・アンド・アウェーで2試合を」という案が新聞に出ていたが、大会の日程が延びるという問題の他に、どちらの会場で先にやるかが問題である。2試合目で優勝が決まるので、2試合目の奪い合いになるかもしれない。FIFAが決めることではあるが、今のところ抽選以外に仲良く決める方法は思い浮かばない。
 しかし、本質的には、これらはそれほど重要な問題ではない。
 決勝戦を見る人びとは、世界中でおそらく数十億人になる。もちろんテレビ中継で見るわけである。
 スタジアムで試合を見ることができるのは、せいぜい数万人である。
 世界の大部分が映像で見るのだから、抽選で負けた方はバーチャル・スタジアムで見ることで我慢しても、たいした違いはない。

☆テレビ時代のショウ
 オリンピックにしろ、ワールドカップにしろ、現代の大きなスポーツ大会は、テレビのためのショウである。賛否両論があるだろうが、テレビで楽しむ人口の方がけたはずれに大きいことは疑いもない。そこを頭に入れて考えないと見当違いになる。
 ハリファックスという町で開かれたフィギュア・スケートの世界選手権を見に行ったことがある。カナダの東の端の小さな島の町だった。
 選手たちを迎えいれ、テレビ中継のスタッフと報道陣を受け入れることのできるだけの能力があれば、この種の大会を大都市で開く必要はなくなっていることに、そのとき初めて気が付いた。 
 大会開催の費用は、ほとんどテレビ中継の放映権料でまかなわれていて、入場料収入は当てにされていない。フィギュアの世界選手権大会の場合は、米国のテレビで放映権をとっていたので、米国での放映に都合のいい場所である方が、アイスアリーナの収容能力よりも優先されるのではないかと考えた。カナダと米国の間には、時差がほとんどないので米国のテレビ局にとって生中継には好都合である。 
 サッカーのワールドカップの場合は、世界的な関心を集めるので、かなり事情は違うが、日本と韓国に限っていえば、時差がないのは両国のファンには都合がいい。 
 現代のスポーツではテレビ放映権はきわめて重要である。この点では日韓共催には、大きな問題があると思うのだが、その点は、改めて考えてみることにしよう。


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