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サッカーマガジン 1996年6月19日号

ビバ!サッカー

2002年、どたん場の大騒ぎ

 ワールドカップ2002の開催地決定を希望と不安と怒りの入り交じった気持で迎えた。最後のどたん場になって南米からの怪情報があり、ゆれ動く川淵発言があり、欧州サッカー連盟の共同開催提案があった。単独開催をフェアに争うのは当然だと思っていたのに……。

☆共同開催案の怪
 2002年のワールドカップ開催地を審議するFIFA理事会を1週間後に控えた5月23日に、どたん場のショッキングな情報が届いた。欧州サッカー連盟(UEFA)のヨハンソン会長が「一国単独開催を原則とする現規約を改正し共催に道を開く提案をする意向」を明らかにしたという外電である。
 共同開催案については、いまさら驚かない。前年の夏以来、再三にわたって登場してきた提案である。そのたびに背後には韓国の影が見え隠れしていた。
 UEFAのヨハンソン会長が言い出したのも最初ではない。もともと国際サッカー連盟(FIFA)の改革を唱え、アベランジェ会長と対立していた人物である。
 また、ヨハンソン会長はスウェーデン出身で、近い将来に北欧3国、あるいは4国でワールドカップを共同閘催しようと考えている。そのための布石として規約を改正したいのは当然である。
 そういう背景を考えると、ヨハンソン会長の提案も、別に予想外のことではない。
 つまり共同開催案自体は、別に怪情報ではないのだが、この提案に日本側があわてふためいている様子がマスコミで伝えられたのには、びっくりした。マスコミ自体、大新聞が社説で共同開催支持を説く体たらくである。
 いったい、大新聞の論説委員は運動部の担当記者から十分に事情の説明を受けたうえで社説を書いているのだろうか。

☆開催できないと大変?
 ぼくの友人のなかにも共同開催を熱心に主張した者がいる。こちらは、大新聞の論説委員と違ってサッカーにも国際情勢にも、たいへん詳しい。
 この友人は、このところ、しばしば韓国に行っている。政治家にしろジャーナリストにしろ、韓国に行った人が共同開催論者になるのは不思議である。
 ぼくの友人は、最初は「日本が降りて韓国に譲るべきだ」という主張だった。
 「韓国の民衆は、もうワールドカップを自国で開くものと決め込んで盛り上がっているんだよ。あの熱気と期待を打ち壊したら、かわいそうだよ。もし日本開催になったら、シュンとなって、韓国のサッカーがしぼんでしまうよ。いまだって野球に追い越されかけてるんだよ」
 ぼくの考えでは、ワールドカップを開催できなかったからといって、サッカーが衰退するはずはない。開催国は4年に1国しかないが、世界の大多数の国のサッカーが、そのために衰退するなんて考えられない。
 どたん場になって友人の考えは、共同開催に傾いた。
 「東アジアの隣の国同士が争ってどちらかが傷つくのは忍びないね。両国で開催すれば、どちらもサッカーが盛んになり、国際親善にもなるじゃないか」
 この議論は、最初から共同開催を主張し、あらかじめFIFAの規則を改正したのちに立候補したのなら成り立つが、今ごろになって船を乗り換えろというのは理不尽である。

☆マスコミ対策は?
 この「どたん場の大騒ぎ」の原因は、何だったのだろうか。
 一つには、日本の招致委員会、すなわち日本サッカー協会の首脳部のマスコミ対策がなっていなかったのではないか、ということがある。
 単独開催の規則にもとづいて立候補し、招致運動を進めてきたのだから、共同開催に賛同できないのが当然だと思うが、それならそれで、その主張と根拠を、国内のマスコミに十分説明して納得してもらわなければならない。
 その努力が足りなかったので大新聞が変な社説をだすようなことになったのではないか。
  どの新聞が、どんな主張をしようと言論の自由だ、といってしまえばおしまいである。
 だが、事情をもっとも知っているのは当事者だから、当事者が情報を十分に提供しなければ、公正な判断をしてもらうことは期待できないはずである。影響力の大きいマスコミや政治家へ正しい情報を提供するのは、現代の情報社会で生きていくための義務である。
 もう一つ、さらにさかのぼれば、スタートのときにも問題があった。
 「アジアで初めて」を掲げるのだから、アジアの支持をまず取り付けて立候補すべきだったが、それができなかったことである。そうすべきだということを、このビバ!サッカーで主張したことがあるが、残念ながら無視されてしまった。
 今となっては、日韓の争いの結果が、今後のアジアのサッカー界の結束に、しこりを残さないように両国の関係者に努めてもらうしかない。


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