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サッカーマガジン 1996年5月8日&15日号

ビバ!サッカー

高校教育とJリーグ

 Jリーグは、発足以来、いろいろな方面に影響を与えてきた。日本のスポーツの長年の弊害を直撃して改革した面がある一方、これまでの良さをこわしたと厳しい批判にもさらされている。前回の大学関係者からの批判に続いて、今回は高校の関係者からの声に耳を傾けよう。

☆生徒を汚染する?
 今回紹介する高校関係者からのご意見は、お手紙でいただいたものである。これには、教育の同人誌に発表された論文が同封されていた。
 長い論文なので全部の論点を紹介することはできないが、ぼくなりに要点をいくつか取り上げてみよう。
 一つのご指摘は、問題は、Jリーグによって高校の教育が悪い影響を受けていることである。
 「Jリーグが華やかにスタートするや、いきなり億単位の年俸、TV放映料の高騰、Jリーググッズの乱売、広告スポンサーの殺到と金、金、金、と金まみれの倫理が横行」しはじめて「あの選手はナンボのモンだ?」と人間を金額で評価するような風潮が表れた――という。
 ぼくは「お金がからむと汚染される」と考える古いアマチュアリズムには組しない。すぐれたピアニストが高額の出演料をもらうように、サッカー・プレーヤーも、すぐれた技能によって高額の報酬を得ても「不道徳」だとは思わない。
 しかし「Jリーグに入るんやから勉強せんでもええんや」と考える高校生が現れはじめたのなら困ったものである。
 サッカーの技能は、人間の能力のごく一部であって、現代の社会で人間に必要な教養や知識や技能は、ほかにたくさんある。お金で買えないものもたくさんある。そのなかには、高校教育で得られるものが、たくさんある。Jリーグに入るんだから勉強せんでもいい、というような考えが、他の高校生にもはびこっているようなら問題である。

☆大学にはいかない?
 もう一つ別の問題は、高校の選手が、大学進学よりもJリーグ入りをめざすようになったことである。
 「貴乃花は中学しか出ていない、カズも高校中退ではないか、大学等へ行って寄り道するのはバカだという論理がユース全日本、ジュニアユース、国体選抜チームの合宿などで選手たちの間に広がっていった」という。
 サッカーの技能だけを問題にするのであれば、別に大学に行く必要はない。しかし、現代社会で生きていくために必要な教養や知識や技能は、ほかにたくさんある。そのなかには大学で学ぶべきものも、たくさんある。
 「貴乃花は中学しか出ていない」という意見に反論すれば、第一に、貴乃花はきわめてすぐれた相撲取りの資質をもっており、大相撲という特別に保護された職業社会で生涯を送るつもりだから、それでいいのだ、ということができる。相撲社会から放り出されて落伍した元相撲取りもたくさんいる。
 第二に、貴乃花は、生涯にわたって食べていくには困らないにせよ、より豊かな人生を過ごすために「もっと学校で勉強しておいたほうが良かった」と思う日が来ないとも限らない、と思う。
 ペレは小学校に4年しか通わないでプロサッカーの世界に入った。しかし、世界のスターになったあとで選手生活を続けながら、大学受験資格の検定をとって、サンパウロの大学に入った。「天才ペレでさえ」である。

☆学校とクラブ
 現在の日本の大学や高校の教育が非常にすぐれていると思っているわけではない。欠陥も多い。しかし、それでも、学校生活から得られるものは非常に多い。
 現在の高校や大学のサッカーが、なかなかいい、というつもりもない。すぐれた熱意のある指導者がいる一方で、昔ながらのやり方で若い素質をつぶしているサッカー部も見聞きする。だが、学校のスポーツにいいところも、たくさんある。その良さを、多くの生徒や学生が享受できるようにするのは、われわれの務めである。
 「学校教育が必要なことは否定しないが、サッカーはJリーグのクラブでやってもいいじゃないか」という意見がある。ぼくが長年主張していた論理である。
 いまテレビで活躍している松木安太郎さんは、小学生のときから、ヴェルディの母体の前身である読売サッカークラブでサッカーをした。中学、高校のサッカー部には属さなかった。
 入学試験を突破して日本体育大学に入り、卒業したが日体大のサッカー部にも属さなかった。高校の3年生ごろから事実上プロであり、日本代表選手になり、ヴェルディの監督にもなった。サッカーは読売クラブでやり、学校では勉強をし、そして成功したわけである。
 ぼくは、これでいいと思っている。
 しかし、すべての人が松木さんのようにできるわけではない。学校スポーツの役割もあるだろうと思う。
 この問題は、もう少し突っ込んで、改めて考えてみたい。


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