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サッカーマガジン 1996年4月3日号

ビバ!サッカー

Jリーグのテレビ中継

 4年目のJリーグがスタートした。浮ついたブームが去って、これからが本当の勝負である。ここで、ちょっと心配なのはテレビ中継の激減だ。とくに全国ネットの民放局が軒並みに大きく撤退したのは、せっかくサッカーのテレビファンが増加したのに残念である。

☆中継回数の激減
 Jリーグ・ブームが去ったことを心配はしていない。「ブームは3年だよ」と、Jリーグができたときに書いた覚えがある。現代のブームは、テレビと広告企業が演出して作り出しているので、そう長続きはしないのである。
 ブームのあと元の木阿弥に戻ることはない。何かが変わっている。その変わったものを育てられるかどうかが勝負である。
 大きく変わったことの一つは、大衆がテレビでサッカーを見るようになったことである。ぼくの働いている大学でも「プロ野球を見る父親とチャンネル権を争っています」という学生がいる。サッカーはテレビ受けするスポーツではないと、ぼくは思っていたが、案外、テレビで見てもおもしろいという人が多い。
 ところが、そのテレビ中継が4年目に入って激減した。
 予定表を見ると、毎週(節)2試合くらいは中継があるが、ほとんどNHKの衛星チャンネルかテレビ東京系である。衛星テレビを受信できる設備は、まだまだ普及度が低いし、テレビ東京のサッカーは、関西では中継されないこともある。
 ヴェルディの経営母体は読売日本サッカークラブという名称で、そのなかの「日本」は日本テレビのことである。日本テレビには、ヴェルディの試合は全部中継してもらいたいところだが、他局以上にJリーグ中継から大きく後退している。
 これは大きな問題である。せっかく開拓したテレビファンを失うことになりかねないからである。

☆Jリーグの思惑
 発足の時にJリーグは強気だった。テレビ放映権は全部、Jリーグが一括して握って各クラブの権利は認めないという方針を打ち出した。
 これは、ヴェルディを育ててきた日本テレビにとっては、非常に苛酷な条件だった。
  1969年に未来のプロをめざして読売サッカークラブが設立されたとき、その推進力は日本テレビだった。「将来、プロ野球と並んでプロ・サッカーの時代がくる。その時に備えてサッカークラブを育てよう」というのが動機だった。自前で育てたブロ・サッカーチームのテレビ放映をするのを楽しみに、ゼロからの投資をしたのだった。
 それが、ようやく実を結んでプロのヴェルディになったときに「放映権は認めない」というのでは20年余の先行投資はなんだったのか、ということになる。
 こういう事情を知っているにもかかわらず、放映権を取り上げた動機は、いくつか考えられる。
 一つの理由はこうである。
 プロ野球では人気一番の巨人の放映権を日本テレビが握っている。人気のヴェルディの放映権を日本テレビが握り、巨人の全国区人気独占の二の舞になるのを、Jリーグは恐れたのではないか。NHKも他の民放テレビ局も日本テレビの独走になるのは警戒したに違いない。
 もう一つの動機は、米国でスポーツ放映権が高騰したのを知って、日本でも同じことが起きるのを当て込んだことである。この裏には広告企業の思惑もあっただろうと思う。

☆日本テレビの報復?
 放映権料でもJリーグは強気だった。1試合1000万円だったと記憶している。1年目の視聴率が驚異的だったので、結果的には、この放映権料は、それほど高額過ぎるとは言えなくなった。
 2年目には視聴率が下がってきた。というより正常化しはじめた。3年目には、民放テレビは軒並みに放映回数を少なくした。
 日本テレビも例外ではなかった。いや、日本テレビの撤退ぶりの方がきわだって見えた。ある人が、うがった観測を教えてくれた。
 「これは日本テレビのJリーグに対する報復ですよ」
 民放テレビは他局との視聴率争いに支配される。視聴率が上がろうとするときに、他局にその番組をとられるのを黙って見ているわけにはいかない。
 だから当初は、20余年にわたる苦労を無視されてもJリーグから撤退するわけにはいかなかったが、視聴率が下がって、他局が撤退しはじめたから、日本テレビも、こらしめのために放映回数を減らしたのだ――というのである。
 この観測は、いささか、うがち過ぎている。
 日本テレビは年間視聴率日本一をめざしていた。だから、いかに心残りがあっても視聴率の下がったサッカーの放映を続けるわけにはいかなかった――というのが真相だろう。 
 4年目のことし、シーズン前半の第15節までの日本テレビの中継予定は、4月13日のヴェルディ対レッズ1試合だけである。「これでいいのか」と、ぼくは思う。


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