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サッカーマガジン 1996年3月20日号

ビバ!サッカー

紀の国のコーチヘの評価

 4年目のシーズンを迎えるJリーグが、この3年間に残した大きな影響の一つは、全国の少年たちが「将来はプロのスターに」という大きな夢を抱くようになったことだろう。しかし一方では、現実が少年たちの夢とかけ離れすぎているのではないか、と心配する声もある。

☆母親たちの意見
 先だって、2月21日号に「紀の国の変わったコーチ」と題して書いた記事に珍しく反響があった。
 近年は読者の方から、ご意見をいただくことはめったにない。他の雑誌でも同じ傾向らしい。30年以上前のサッカー・マガジン創刊のころは毎月、全国の指導者やOBの方からいただいた投書が励みになったものだったが、近ごろは写真やイラストを見るファンが多くて、記事を読んで自分の意見を述べる読者は少ないんだそうである。
 さて、いただいたお手紙の趣旨は、いずれも紀の国の前田禎昭コーチを支持するものだった。
 @小学生に勝つためのサッカーをさせる必要はない。
 A全員を試合に出して負けても、その方が、子どもたちのためにも、チームワークのためにも、いい結果を生む。
 B高価なユニホームなどの装備を揃えている少年チームがあるが、そういうチームが、いい子どもたちを育てているとは限らない。
 C楽しくボールが身につき、思い切り走り回って、気持の良い疲れを体が知れば小学生には十分だ。
 こういうご意見を寄せてくださったのは、選手や指導者ではなくて子どもたちのお母さん方だった。
 自分の子どもはレギュラーで出ている、チームは地区大会に勝って県大会に進出した、そういうお母さんたちが「頑張って勝て」という意見ではなく、少年サッカーの在り方に、きちんとした考えを持っていることに感心した。

☆少年たちの夢と現実
 投書のなかに、こんなど意見があった。
 「男の子たちの夢は大きくなったらプロ選手になることです。子どもたちはJリーガーを夢見て、がんばってます。でも現実はどうでしょう。高校を出て、たちまちプロに合格。バンザーイ。でもそれっきり、ということも多いんです。1年後にハイ解雇。19歳や20歳で、もうクビですよ。こんな現実を子どもたちは何も知らずにプロを夢見てがんばってます。これでいいんでしょうか」
 うーむ。
 この心やさしい母親の心配には、いろいろな問題が含まれている。
 子どもの夢が現実的でないのは、なにもプロのスポーツに限らない。
 ぼくの時代の子どもたちの夢は、総理大臣か陸軍大将だった。これはプロ選手になるよりも難しいし、今の標準から見れば、それほど、いい理想だとも思われない。
 だから子どもが、現実的でない夢を見ることを心配することはないのかもしれない。
 しかし、明治から昭和のはじめにかけて、人びとの多くは貧しく、教育の機会は限られていた。だから政治家や、軍人として偉くなることが夢のまた夢であることを、子どもたちは本当は知っていた。
 現代では、才能と努力がともなえば、誰にでもJリーガーになるチャンスがある。そのために役立つ訓練を現に少年チームで受けている。夢が現実に通じているからこそ、お母さん方はかえって心配なのかもしれない。

☆生涯スポーツのために
 大部分の少年たちは、プロになるためには、努力だけでなく生まれ付きの才能や運が必要なことを、やがて知るようになる。
 しかし、サッカーを楽しむ習慣を子どものころに身につけたことは、決してムダではない。少年サッカーで覚えたボール扱いのテクニックは、歳をとってからも、体力が衰えてからも、スポーツを楽しむために役に立つ。
 つまり少年サッカーは、生涯スポーツの基礎である。そのためには、子どもたちに楽しさとボール扱いのテクニックを覚えてもらうことが第一である。
 問題は、才能に恵まれ、努力のかいもあってプロの門をくぐることのできた若者である。 
 現実的なお母さん方は、一時的に収入の多いプロよりも、安定した会社勤めを望むかもしれない。しかし一般の企業でも終身雇用と年功序列は終わりを告げようとしている。
 そうであれば、1年後に「ハイ解雇」の可能性があっても、若者たちがチャレンジするのは悪くない。
 企業で年功序列が崩壊しているのなら、他の人より遅れてビジネスの世界に入っても実力次第で遅れは取り返せるからである。 
 結論はこうである。  
 第一に、少年サッカーは、生涯スポーツにつながるものでなければならない。 
 第二に、少年サッカーは、サッカーだけしかできない人間を育ててはならない。 
 紀の国のコーチへの評価は、ここにポイントがある。 


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