プロのスポーツ選手が移籍するとき問題になるのは、在籍していた元のチームが、その選手に対して、どんな権利をもっているかである。移籍先のクラブが引き替えに元のクラブに払う移籍料は、その権利に対する対価であると考えられる。これを保有権問題という。
☆都並の移籍の一側面
この前の号で、ヴェルディの都並が他のチームに移るのは「さびしいな」と書いた。
都並は、ヴェルディの母体だった読売サッカークラブで子どものころからボールをけって育ってきた。それが、いまになって他のチームに移るのは、ファンとして「残念だ。よみうりランドで最後までサッカー人生を全うしてほしかった」と感情的に思うわけである。
それだけではない。
長い間クラブが都並を育てるために費やしてきた投資を、移籍先のアビスパ福岡が、最後に横取りしたような印象も受ける。そうであればヴェルディは、アビスパから相当の移籍金を受け取っても、おかしくはない。
もっとも、これも、かなり感情的な反応である。都並は長い間、読売クラブとヴェルディのためにプレーし、クラブが育ててくれた恩義以上の貢献をしてきている。「借りは十分返した」ということもできる。そうであれば、都並には、どこにでも好きなところに行く権利があっていい。
しかし、これは、長年クラブに貢献してきた都並についてだから言えることであって、かりに小学校5年生のときから「よみうりランド」で育ってきた若手が、18歳くらいでプロ契約をするときに「お世話になりましたが、プロとしてはアビスパと契約します」と言ったとしたら、それこそ「読売クラブの、それまでの投資は何のためだったのか」ということになる。
☆サッカーの徒弟制度
こういうふうに考えると、クラブが所属のプレーヤーに対して、なんらかの権利を持っているとすれば、その根拠の一つは、そのプレーヤーにかけた教育のための投資である。これは南米のサッカーでは、ごくふつうの考え方である。
リオデジャネイロのサッカー協会を訪ねたときに、12歳くらいの少年たちの登録を受け付ける部屋に案内されたことがある。州内のクラブが、それぞれ「この少年は、うちのクラブの所属です」と協会に登録した書類を管理する部屋だった。この登録によって、その少年のサッカー・プレーヤーとしての保有権が、そのクラブに生じる。
もちろん少年たちの親たちの同意があり、親たちは、クラブが子どもをペレのようなスターに育ててくれることを期待している。
クラブのほうも素質のありそうな少年に投資して「未来のペレ」を作り出そうと夢見ている。したがって「未来のペレ」が18歳くらいになってプロ選手になるときには、契約する優先権をもつ。せっかく育てた「ペレ」を他のチームに横取りされたら困るからである。
これは一種の徒弟制度である。
商人や職人のお店に10代の少年が住み込みで働き、仕事を教えてもらう。一人前になっても何年かは「お礼奉公」をして教育してもらった投資にお返しをする。そのあとで「のれん分け」してもらって独立が許される。江戸時代には、ふつうだった、この徒弟制度が現代のプロ・スポーツの世界には残っている。
☆保有権の根拠は?
この前の号で紹介した「スポーツ法学会」には、元プロ野球選手会の弁護士さんも招かれていて「保有権がなければ、プロ・スポーツは成り立ちませんよ」と断言していた。
ただし、日本のプロ野球の選手の保有権は、南米のサッカークラブの場合とは、かなり違う。
というのは、プロ野球の場合は、自分のクラブで少年を育てることはなくて、高校野球が育てたプレーヤーをドラフトで勝手にとって契約するからである。つまり日本のプロ野球の選手保有権は、教育投資への見返りではない。
「保有権制度は、独占禁止法違反の疑いがあります」と、その弁護士さんは言っていた。ぼくのシロート考えでは人権無視の憲法違反の疑いがあるのではないかとさえ思える。
とはいえ、サッカーの徒弟制度がまったく合理的だともいえない。
というのは、現代社会では、教育は学校でまとめて面倒を見ることになっていて、その費用は本人の保護者が授業料として払うか、社会が公的に負担するかのどちらかになっているからである。だから、学校が卒業生の就職先の会社に「教育費の対価を支払え」と要求するようなことはない。
あれやこれやと考えると話は、ますます、ややこしい。
結論だけいうと、クラブが育てた選手は、最初の契約のときは育てたクラブに優先権を与えるべきである。
高校や大学が育てた選手についてどうするかは、また改めて一考察を試みることにしたい。 |