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サッカーマガジン 1996年2月21日号

ビバ!サッカー

紀の国の変わったコーチ

 「書かないでくださいよ」と、当人は言っていたのだが、地元の新聞には紹介されているので、全国版のサッカー・マガジンにも紹介させてもらう。自分の信念にしたがって、子どもたちのサッカー・クラブを作り、なかなかの成果をあげている紀の国、和歌山県のコーチである。

☆ウイルFCコーチの結婚
 大阪から南へ和歌山へ出てJR和歌山線に乗り換えて三つ目に布施屋という無人駅がある。「ほしや」と読む。昨年12月にそこへ行ってきた。この地で少年サッカーの指導をしている前田禎昭さんの結婚披露パーティーに招かれたからである。
 紀ノ川をさかのぼって、高野山から吉野の方へ入っていく街道沿いである。古代には中国からの文化が瀬戸内海をへて入ってきて、川をさかのぼって山の方へ入っていったのではないだろうかと想像した。県庁所在地の和歌山市から、そう遠くはないのだが、そんな想像をしたくなるほど、川と丘陵に挟まれて美しい田園風景が広がっている。
 「ここは水と緑と太陽はいっぱいですよ」と花むこの前田さんが言っていた。
 結婚披露パーティーは、風変わりなものだった。なにしろ、お客さんの半分は小学生だ。前田さんが指導しているウイル・フットボール・クラブの少年たちである。
 おとなのお客さんも、花嫁側のほかは、サッカー一色だった。神父さん役でセレモニーを司会したのは和歌山のテレビ局に勤めているボリビア人だった。もちろんサッカーファンである。
 前田さんは、ぼくが東京の新聞社をやめて兵庫県の大学に勤めはじめたことをサッカー・マガジンで知って、わざわざ訪ねて来てくれた。それが知り合ったはじめである。
 「コーチは、思い立ったら誰にでも、どんどん会いに行くんですよ」とパーティーの出席者のひとりが、ぼくに教えてくれた。

☆塾でないサッカー塾
 前田コーチは、和歌山市の会社に勤めながら、土曜、日曜と祝日は、4年前に自分が作った「ウイル・フットボール・クラブ」で、少年たちの指導をしている。地元の一つの小学校の生徒が大部分だが、練習場所は別の高等専門学校のグラウンドを貸してもらっている。
 「うーむ」と思ったのは、その子供たちの小学佼には、その小学校の先生が指導している別のサッカー少年団があるという話だった。つまり学校内には、いわば「部活」のサッカー部があり、前田さんは学校の外側に、いわば「サッカー塾」を開いているようなものである。
 ま、小学校で算数を教えていても学校から帰って、算数の塾に通っている子供がいるのだから、サッカーで似たようなことがあっても、おかしくはない。
 ただし小学校内のサッカー少年団は、もちろん授業ではない。
 前田さんの「ウイル・フットボール・クラブ」も塾ではない。塾のように、詰め込みで教えるようなことはしない。
 「お母さん方に、ときどき言われますね。練習がいつ始まって、いつ終わったのか分からないって。おいち、にっ、さん、し、と掛け声をかけて準備体操をして、さあ、はじまりっ、というようなことはしませんからね」
 集まってきて、遊びのようにサッカーが始まり、最後は遊びのように「さいなら」といって解散する様子が、前田さんの話しぶりから十分に想像できた。

☆楽しく自由自在に!
 「楽しく遊ばせる」のが前田さんの方針のようである。しかし、考えもなく、ただ遊び場を提供しているわけでは決してない。
 グラウンドを貸してくれている高等専門学校の校長さんが「グラウンドに線を引かないでほしい」と言ってきた。次の日の授業や行事の邪魔になることがあるのだろう。
 「ラインを引かないで、ボールがどこまでいっても追い掛けてプレーすることにし、塀にぶつかって跳ね返っても、そのままプレーすることにしたら、これが結構おもしろい。ゴールも必ずしも向かい合って二つ置くとは限らない。背中合わせに四つ置いたりしています」
 自由自在である。
 パーティーのお客さんの一人が、こんな話をしてくれた。
 「よそのチームと試合をして、前半1対0でリードしたから、これは勝てるぞと思っていると、ハーフタイムに、後半出たい人は手を挙げてと言って、交代で弱いメンバーを、どんどん出して大敗したりするんですよ。小学生に勝つためのサッカーをさせる必要は、まったくないという考えですからね」
 ご本人は、こう言っていた。
 「けがをしているのに勝つために無理して出場させる指導者があちこちにいるんですよ。コーチが勝つことで満足したいだけなんです。ウイル・フットボール・クラブでは、けがする前に練習が終わってますよ」
 こういう指導を「だらしない」と思うかどうか。読者の皆さんの、ご意見を聞かせていただきたい。


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