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サッカーマガジン 1996年2月14日号

ビバ!サッカー

W杯南北共同開催はない

 北の朝鮮民主主義人民共和国が南の韓国に「2002年のワールドカップを南北共同開催で」と申し入れた。本気なのかどうか、実現性があるのかどうか、日本の招致運動にどんな影響があるのか、議論はいろいろあるようだが、劇的な展開にはならないような気はする。

☆劇的展開になるのか?
 「てえへんだ、てえへんだ」と、東京の友人から電話が掛かってきた。1月19日の夜である。
 朝鮮民主主義人民共和国サッカー協会が、2002年のワールドカップ南北共同開催を国際サッカー連盟(FIFA)に提案したというのである。
 「南北共同開催になると、国際政治を動かす画期的ドラマだからな。FIFAは歴史の1ページを飾りたくなるんじゃないか」と友人は、びっくり仰天している。
 友人の頭の中には、1971年の「ピンポン外交」がある。
 この年の4月、名古屋で開かれていた世界卓球選手権大会のさいちゅうに、とつぜん、中国が米国選手団を北京に招待した。
 現在の国際情勢なら、米国のスポーツ・チームが、どこへ行こうが誰も驚かない。
 しかし、その当時は米国と中国は国交がなく、厳しい敵対関係にあった。中国政府が米国チームを招待するなんて誰も想像しなかったから、世界中が仰天した。
 これが実は「関係を改善しよう」という中国からの信号だった。
 これに続いてキッシンジャー国務長官が7月に北京を秘密裏に訪問し、ニクソン大統領の訪中、米中国交正常化と続いて、世界情勢は劇的な展開をした。
 FIFAも、このような歴史のドラマの主人公になりたいんじゃないか。そのために共同開催のほうを支持するんじゃないか――と友人は心配している。

☆実現の可能性はない!
 「ま、そんなことには、ならないと思うな」
 と、ぼくは冷静に答えた。
 ワールドカップの共同開催は、卓球チームの親善訪問とは、わけが違う。米国卓球チームの訪中は、かりに、その裏で秘密裏に行なわれた政治交渉が失敗に終わったとしても、両国政府は知らぬ顔を決め込み、卓球チームの入国許可は「単なる中国の気紛れだった」で済ましてしまうこともできた。
 しかし、ワールドカップの南北共同開催になると、これは単なる友好のゼスチャー、民族団結の象徴では終わらない。それは必ずや南北の政治的統一へと突き進むだろう。
 民族の統一は、多くの人が気持のうえでは願っている。
 日本は植民地支配と太平洋戦争によって分断の遠因を作り、米国とソ連(いまのロシア)は、その戦後処理のための取引で直接、分断のもとを作った。その責任を感じるなら、日本人も米国人もロシア人も、大多数は民族の統一を心から願っているに違いない。
 しかし、いま、情勢は厳しい。
 南の韓国は、順調に経済成長を続けてきたように見えるが、十分に余力があるというほどではないだろう。
 一方の北側は、これまでにない水害で深刻な食料危機が伝えられている。経済状態は、かなり深刻だとの説もある。
 この二つの社会が、いっしょになったときに起きるであろう経済的、政治的混乱を、当事者も周辺諸国もおそれている。

☆双方にとってのPR?
 ワールドカップの共同開催の影響が卓球チームの親善訪問とまるで違う理由を簡単に説明しておこう。 
 @ワールドカップは、多くの都市に分散して開かれる。この多くの都市をチームも、ジャーナリストも、観客も、自由に移動して訪問することが必要である。
 A南北にまたがる多くの都市を、往来するために、高速道路網、高速鉄道網、航空路線網が必要である。
 B南北にまたがる多くの都市の間で、テレビなどによる多量の情報を伝達できる通信網が必要である。
 つまり、南北にまたがる全地域で自由に人間と情報が行き交うシステムがなければ、ワールドカップは開けない、ということである。
 現在の朝鮮半島が、そういう状況にないことは明らかだ。だから南北共同開催が認められたときには、今後6年間で、民衆の自由な移動を認め、高速交通網を整備し、情報の自由な流通を可能にしなければならないことになる。
 経費と労力を惜しまなければ、あるいは突貫工事で、そういうことが技術的には可能かもしれない。しかし、現実には、そういう経済的、技術的余力はありそうにない。
 かりに、あったとしても、ここにあげた3条件が整うことは、とりもなおさず、二つの政治体制が統一されたことを意味する。それは、今の国際情勢では望まれていない。
 そういうわけで、共同開催の提案は、南北双方が、それぞれの思惑を秘めたPRにすぎないのではないかと思うわけである。


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