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サッカーマガジン 1996年1月10日&17日号

ビバ!サッカー

Jリーグ・ダイジェストに大賞を!

 新しい年を迎えるにあたりビバ!サッカーが選考する日本サッカー大賞を発表する。このグランプリは、独断と偏見で選びながら、その年、その年の時代を刻む権威あるものである。1995年度のグランプリは、NHK衛星テレビの「Jリーグ・ダイジェスト」に!

☆殊勲賞についての訂正
 ご存知のとおり、ビバ!サッカーの選ぶ日本サッカー大賞は、独断と偏見を基準としているが、振り返ってみれば後世の歴史家が「うーむ」とうなるに違いないほど、その年、その年の時代を確実に刻んでいる。
 そこで1995年を振り返り、この年の里程標として、その功績を、ここに止めることにする。
 すでに、この前の前の号で、殊勲賞はマリノスの早野監督に与えることを発表している。ただし、あの発表文に誤植があったので、ここに謹んで訂正をしておきたい。
 Jリーグ前期の優勝は、シーズン半ばで辞任したソラーリ監督のものとされたので、それを引き継いだ早野監督は損な立場だった。それを乗り越えてチャンピオンシップに優勝した功は「早野監督に帰(き)すべきである」と書いたのだが、どういうわけか誌面を見ると「その功は早野監督に返すべきである」となっていた。これだと、ソラーリ監督の勲章を取り上げて、早野監督に返してやるように取られてしまう。
 文脈も、ちょっとあいまいだったが、ぼくが早野監督に殊勲賞をやったのは、チャンピオンシップ優勝の功労に対してで、前期のサントリーシリーズ優勝の功績に対してではない。その点は誤解のないように、ここではっきりさせておきたい。
 ともあれ、マリノスの優勝は、Jリーグ3年目の救いだった。観客数もテレビの視聴率も落ち、活躍したのはヴェルディと外国人だけというのでは情けないからである。

☆貴重な録画集約番組
 さて、いよいよグランプリの発表である。         
 ジャジャーン!
 日本サッカー大賞は、毎週日曜日にNHKテレビの衛星チャンネルで放映された「Jリーグ・ダイジェスト」に決定いたしまーす!
 「なんだ!それは」と友人から言われそうである。
 だから今回の選考にあたっては、例年と違って友人たちの意見を徴するようなことは、しなかった。
 ぼくにとって、この「Jリーグ・ダイジェスト」は非常に貴重な番組だった。 
 というのは、この1年、新しくできた大学の仕事に追われて、なかなかスタジアムに出掛ける暇がなかったからである。 
 テレビの中継も、かなり減った。そのうえ、東京では放映されている番組も、関西では見ることのできない場合が多かった。 
 そういうわけだから、日曜日の、比較的暇な時間帯に、その週の試合のダイジェストをまとめて見せてくれたのは、とてもありがたかった。 
 友人の松木安太郎・前ヴェルディ監督が、立派なタレントになって、的確でユーモアあふれる解説をしてくれたのも、うれしかった。 
 まあ、そんな個人的事情もあるが、こういうダイジェスト番組を作ってほしいな、ということは日本リーグのころからの夢だった。それをかなえてくれたことも評価したい。 
 ミーハー向きな演出もあったが、内容も、よくくふうしてあったように思う。

☆ユニバー優勝支援に敢闘賞
 Jリーグのダイジェスト番組は、NHKの衛星チャンネルだけでなく、他の民放にもあった。こっちの方は、あまり見ていないので、評価はできないが、優るとも劣らない内容だったのなら、これも合わせてグランプリを贈ることにしよう。
 ビバ!サッカーの大賞は、賞状も賞金もなく、その功を記録に止めるだけだから、世間のありふれた表彰と違って自由自在である。要点は、このような番組が、今後も続くように激励することにある。
 さて、敢闘賞は、福岡のユニバーシアード優勝に贈ることにする。
 「これこそグランプリだよ」という意見もあるだろうが、ビバ!サッカーは、冠のうえに冠を重ねるような表彰はしない主義である。ユニバーシアード優勝は、すでに金メダルで報われているのだから、そのうえに表彰を重ねるのは、もとの表彰者に失礼である。
 しかし、優勝のかげには、大学サッカー関係者の横のつながりによる協力と支援があった。
 だから、チームだけでなく、日本の大学サッカー関係者の協力支援体制をふくめて、とくに敢闘賞を贈る。
 技能賞は、ヴェルディのネルシーニョ監督に贈る。 
 ヴェルディが、もともと持っていた良さを最大限に活用し、そのうえに新しいものを注ぎこんで、ニコスシリーズで優勝した手腕はユニークだった。日本代表の監督になりそこなったのは気の毒だったが、候補にあげられたのは「むべなるかな」である。


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