亡くなった渡辺正さんに、まず心から哀悼の意を表したい。 1950〜60年代に、日本のサッカーを作り直したクラマーさんの愛弟子の一人だった。今回は、そのクラマーさんが紹介したボール・ペンデルの話を書くのだが、ワッタンの遺徳も書き留めておくことにする。
☆グラウンドの粗大ゴミ
機会があって茨城県の筑波大学のスポーツ施設を見学した。筑波大学の前身は東京教育大学、そのまた前身は東京高等師範学校である。
そのサッカー部は、来年、創立100周年を迎える。日本のサッカー普及のルーツだといっていい大学だ。
筑波山を望む広大なキャンパスを案内してもらって、サッカー場にさしかかったら、さびついたボール・ペンデルの柱が数本、立っているのに気がついた。
「これ、使っているのを見たことがないな。今や粗大ゴミだよ」
と、案内してくれた友人が言う。
ボール・ペンデルを、ご存知だろうか。
高さ3メートルくらいの柱の先から、ひもでボールを吊り下げる装置で、ヘディングや浮き球のキックの練習に使うことができる。
いまから36年前、1959年に、日本サッカー協会は、ドイツ人コーチのデトマール・クラマーさんを招いた。クラマーさんは日本へ来るとすぐ「サッカー・グラウンドにペンデルは付きものだ」と言って、この装置の普及を奨励した。
ところが、この装置、作った当初はなかなか役に立つのだが、間もなく粗大ゴミと化す。
高さ3メートルの柱の先に滑車やひもが付いていて、からまったり、さびついたりすると、修理するのが、なかなか、やっかいだからである。
いまの子どもたちは、ペンデルを使ったことがあるだろうか。ヘディングの練習は、どんなふうにやっているのだろうか。
☆指導法が変わった!
からまる、さびつく、高いところにあって直すのがむずかしい。ペンデルが粗大ゴミになる直接の原因は、これである。
しかし、もっと基本的な問題も、ひそんでいるかもしれない。
それは、少年サッカーの指導法そのものが変わってきたことである。
30数年前、クラマーさんの影響力のもとで、日本で行なわれていた少年サッカーの指導は、基本の技術をくり返して練習することから、はじまった。
ドリブル、インサイドキック、インステップキックなどを、ひとつひとつ取り上げて、フォームを教えて練習させた。
ヘディングの練習には、ペンデルが便利だった。ボールの高さを調節できるからである。2人1組で手で投げてやって練習するよりも効率がいい。
念のために解説を加えると、柱は高くなければならない。たとえばゴールバーから下げたりすると、ひもが短いので、ボールの揺れがうまくいかないし、バーに巻きついてしまう。
しかし、最近の子どもたちのサッカーを見ていると、基本の反復練習よりも、少人数の試合を多くしているようである。
この方が本当なのかもしれない。子どもたちは、ゲームをやって遊ぶのが好きである。遊びの中から、次第に本格的なサッカーが育ってくるのかもしれない。
ペンデルが見捨てられたのは、そのせいかもしれないと考えた。
☆渡辺正さんのこと
渡辺正さんが亡くなった。メキシコ・オリンピックの銅メダリストで日本代表チームの監督も務めた人である。ワッタンの愛称で親しまれていた。
しっかりした技術を持ち、積極的な思い切ったプレーのできる選手だったが、派手ではなく、クロート受けするタイプだった。
たしかメキシコ・オリンピックの前だったと思ったが、千葉県の検見川に日本代表の合宿を見にいって、ぼくが、とんでもない間違いをした覚えがある。
駅前の喫茶店で監督の長沼健さんと話をしたとき「ワッタンは大丈夫なの? まだ使えるの?」と見当違いの質問をしたのである。長沼監督は「十分にやれますよ」と答えて、にやにや笑っていた。「サッカーをたくさん見ているのに、見る目がないな」と思ったのだろう。ぼくは練習を見ていて「パッとしないな」と感じたのだが、これは大間違いだった。
メキシコ・オリンピックのビデオを見てみれば、ワッタンが非常にいい仕事をしていることが分かる。このときに、ジャーナリズムでは杉山、釜本がヒーロー扱いされたが、渡辺正の貢献は、それに優るとも劣らないものだった。
日本代表の任なかばで病気になって退いたあと、大学サッカーの試合を見に行ったら、リハビリ中の身だのに、母校の立教大学の監督としてベンチに座っていた。根っからのサッカー好きだった。スターらしくない大スターだった。
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