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サッカーマガジン 1995年12月27日号

ビバ!サッカー

マリノス優勝の原因は?

 Jリーグのチャンピオンシップはマリノスの優勝だった。後期の二コスシリーズで、あれほど好調だったヴェルディに連勝。みごとなものである。数少ない日本人の監督である早野監督の成功を喜ぶとともに、マリノスの勝因とヴェルディの敗因を考えてみる。

☆早野監督に殊勲賞
 「こりゃ、殊勲賞は早野監督にやらなきゃ」
 Jリーグ・チャンピオンシップで優勝したマリノスの早野監督の、うれしさを押し殺した表情をブラウン管の大写しで見て、こう思った。
 ビバ!サッカーが選考する恒例のサッカー大賞の話である。
 大賞の選考は次の機会に持ち越したいが、ビバ!サッカーは自由自在なので、殊勲賞だけ先に独断と偏見で決めてしまうくらいのことは朝飯前である。
 マリノスが前期サントリーシリーズで優勝したのは、半分以上はソラーリ監督の功績だった。そのソラーリ監督が、シーズン途中に突然やめて、アルゼンチンに謎の帰国をしたので、早野監督があとを引き受け、なんとか持ちこたえて優勝したが、早野監督の真価は、後期二コスシリーズの戦いぶりを見てみなければ分からない――というように、ぼくも書いた記憶がある。
 これは早野監督には、はなはだ酷な話だった。
 前期優勝の功は、途中で投げ出した前任者にとられ、追われる立場だけ引き受けて比べられることになるからである。
 しかし、チャンピオンシップでヴェルディの3年連続優勝を阻止したからには、この功は早野監督に返さなければならない。監督は結果によって評価されるべきである。
 数少ない日本人監督のチームが優勝したことを、ぼくの偏狭な愛国心が喜んで「殊勲賞だ、殊勲賞だ」と叫んでいる。

☆マリノスの勝因は!
 「それじゃ、なんでグランプリをやらないんだ」と友人が口をとんがらかせそうである。
  「大賞は次年度に優勝してからで遅くない」
 と、ぼくの独断が答える。実はグランプリには別の候補を温めているからである。
 しいて理屈をいえば、マリノスのチャンピオンシップ獲得は、2試合だけに勝った結果だった。2試合とも1対0の勝ちだから立派なものではあるが、リーグ戦の長丁場を勝ち抜いた結果ではなかった。本当の実力は長期のリーグ戦を戦い抜いて試される。
 とはいえ、2試合の短期決戦には短期決戦のための戦い方がある。短い期間だけコンディションをトップにもっていき、体力のかぎりを尽くして頑張れるサッカーをすることである。
 マリノスは守りを頑張って、少ないチャンスを巧みに生かすサッカーをした。これがマリノスの勝因だったと思う。
 勝負だから、その場、その場にあった最適な兵法を選ぶのは当然である。戦いに勝った功績を、むかしから「殊勲」と呼んでいる。だから殊勲賞である。
 しかし、この兵法は長期のリーグを戦うためには、そのままは使えない。長期間にわたって全員の体力をピークにそろえ続けることは難しいからである。
 だから、早野監督にグランプリを出すかどうかは、長期のリーグ戦で優勝してからにしたいと、屁理屈をいうわけである。

☆ヴェルディの敗因は?
 それでは、ヴェルディの敗因は何だったか。
 マリノスの勝因を裏返しにすれば
 「コンディショニングに失敗した」ということもできるだろう。
 さらに、その原因として「スケジュールがきつかった」という言い訳もあるかもしれない。
 第1戦を失ったあとの第2戦、結局はラモスに頼った。「けがばかりしてるのに、いつまでもラモス頼みじゃあな」というのも、一つの理屈である。
 それぞれ、もっともな点はあるだろうが、ヴェルディの守備ラインにも欠陥があった。それをマリノスが巧みについた、という見方はできないだろうか。
 ヴェルディの守備陣の核は、ペレイラと柱谷である。ともに信頼のおけるデイフェンダーではあるが、2人ともマーク屋というよりも、カバー屋だ。一人がマーク屋のストッパー、もう一人がカバー屋のスイーパーというコンビだと、守りを組み立てやすいが、カバー屋同士のコンビはやりにくい。
 そこで柱谷を中盤の底にあげ、守りのシステムを変幻自在に変えるなどネルシーニョ監督は手を尽くしてきた。そこに生じている無理を、マリノスはワンチャンスで巧みに生かした。それが2試合1点ずつの得点場面に表れていた。
 第2戦の前半29分、後方から進出している井原をマークできなかったのは「マリノスのフリーキックが、すばやかった」では、すまされないのではないかと思う。


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