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サッカーマガジン 1995年12月20日号

ビバ!サッカー

加茂続投までの奇々怪々

 日本代表チームの加茂周監督の続投までの経過は、奇々怪々としか、いいようがなかった。この問題は、もうすんだことになって、ファンの目は、Jリーグのチャンピオンシップに移っているだろうが、ビバ!サッカーは、しつこく、この問題を追い掛けたい。

☆ネルシーニョの駆け引き
 日本代表チームの監督候補にヴェルディのネルシーニョの名前が浮かんで、また消えたとき、まっ先にカンぐったのは、お金の問題だった。
 ネルシーニョは、ヴェルディの監督としてめざましい成果をあげた。優勝という結果だけでなく、選手の起用、若手の登用、戦法の巧みさなど、いろんな面で手腕を見せた。
 「その実績があるから、日本代表の監督にふさわしい」と、考えるのは間違ってはいない。
 しかし「頼めば必ず引き受ける」と考えるのは、いかにもアマチュアである。
 「日本代表の監督になるのは名誉なんだからやるべきだ」といっても相手はプロフェッショナルである。「ぼくの値打ちにいくら払うの?」と尋ねる権利は当然ある。
 ヴェルディで大成功を収めた直後だから、お値段は当然高い。ネルシーニョにとっては、自分自身を、もっとも高く売るチャンスである。
 しかも、マスコミによれば、買い手の日本サッカー協会は前任者の加茂周監督をすでに見限っている。ネルシーニョが第一候補であり、第二、第三の他の候補は、その前に断っている。
 競争相手の売り手がいないとなれば、ますます自分を高く売りつけようとするのは合理的な考えだろう。
 しかし、買い手の財布、この場合は日本サッカー協会の財政にも限度がある。
 ネルシーニョは、そこを読み誤って、自分自身に高過ぎる値段を付けたんじゃないかという気がする。

☆文化と考え方の違い
 ネルシーニョ側の言い分によれば最終的には協会が支払えるといった金額に歩み寄った。年額1億円、3年間で3億円、ワールドカップ出場を果たした場合の成功報酬5000万円、合計3億5000万円という話である。
 ネルシーニョ側が譲歩して協会の申し出た金額をのんだのに、協会は手のひらを返して加茂監督続投の方に舞い戻った。「それはないよ。背信行為だよ」というのが、売り手の方の言い分だろう。
 一方、買い手の協会側は「金銭問題もあったし、ことばの問題なども考えて総合的に判断した」という。
 ここらあたりは、カンぐれば、なかなかおもしろい。
 ネルシーニョ側にいわせれば「いちばんの問題である金銭面では折れ合ったじゃないか」ということになる。
 協会側は「最初から駆け引きをしないで腹を割った話し合いをしたかった」という気持ではないか。
 日本のサッカー協会は国際的な交渉には、慣れている。だから、このような駆け引きは「悪いこと」ではないし、欧米では、ふつうに行なわれていることを十分に承知しているだろう。
 ネルシーニョの方も、日本の社会のやり方を、ある程度は知っていただろう。極端な駆け引きをすれば信用を失うことを知っていなければ、日本で交渉ごとを行なうには損である。
 にもかかわらず、文化の違いと、それによる考え方の違いが、食い違いのもとになったようにみえた。

☆強化委員会の立場は
 分からなかったのは、強化委員会の立場である。
 代表チームの監督の契約は、一つの商取引であり、金銭をめぐる駆け引きが介在することを考えれば、強化委員会が、あらかじめ「ネルシーニョが一番だ、加茂周は四番目だ」という結論を出すと、協会の交渉力を弱くすることになる。「お前も候補だけど、ほかにも人材はたくさんいるよ。能力と条件のバランスがいいのを選ぶんだよ」ということにしておかないと、買い手の立場は強くならないからである。
 強化委員会が、日本代表チーム監督候補の能力評価をする立場にあると仮定しての話だが、強化委員会は資料を提出するにとどめて、具体的な人選は、最終決定権をもつ協会幹部に委ねるべきだった。
 また協会は、時をおかずに決定できるよう、あらかじめ熟慮しておくべきだった。人事に時間をかけるとろくなことはない。
 ただし、ぼくの考えでは、強化委員会に代表チームの監督の評価をさせるのは適当でない。
 強化委員会は、協会の最高首脳部が選んだ代表チームの監督を支援する立場にあるべきだと思う。監督は、選ばれたからには全権を委ねられなければ、やっていられない。
 ところが強化委員会は、代表チームの監督を、さらに監督するような立場にあったらしい。
 代表チームにお目付け役を置いて、監督を針のむしろの上に置くようにして「しっかりやれ」というのは無理だったのではないか。


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